《0182》 人間は裸で生まれて裸で死ぬもの [未分類]

もう少しだけ、関寛斎のことを書かせてください。

彼は、名誉を全く求めない人でした。
彼は82歳でトマムの地で、自死したと伝えられています。
自死の理由は今も謎です。

彼は、天保元年に生まれ、大正元年に亡くなっています。
国家意識の高い寛斎のこと、明治天皇の御崩御と、自らの時代の終焉を
重ねたのかもしれません。

もう一つ、トマムの開拓地の処理をめぐって、実の孫と争ったようです。
アメリカ式農業を真似ようとした孫(医師と弁護士の両方の資格を持つ)と、
関農場で働く人たちを自作農に育てることを主張した寛斎。
法定闘争は、孫に軍配が上がりました。

徳島に帰った孫は開業し、医師として成功したそうです。
しかし、戦争で財産はすべて灰になりました。

「お金より人を育てること」という寛斎の持論の正しさを皮肉にも歴史が
証明することになりました。

「人間は裸で生まれて、裸で死ぬもの」これが持論だったそうです。
医療崩壊に悩む今こそ、医療者は、寛斎に学ぶ点が極めて多いと思います。
私も悩んだ時には、寛斎の伝記を読むようにしています。