《0184》 「尊厳死」と「安楽死」は違う [未分類]

「尊厳死」と紛らわしい言葉が、「安楽死」です。
安楽死と聞けば、なんだか怖い感じがしますね。
新聞等に、「○○安楽死事件」と出るからでしょうか?

尊厳死と安楽死は、全く違うものです。
尊厳死は、自然な経過に任せること。
安楽死は、人為的に死期を早める処置をすること。

末期がんの患者さんが食べれなくなっても、点滴などの人工的な
栄養補給をせずに、自然経過に任せて死を迎えるのが、尊厳死。
苦しいからといって、息が止まる注射をするのが、安楽死。
全然、違いますよね。

「射水市民病院事件」では、死期が近い患者さんの人工呼吸器を
外したことが、問題とされました。
しかし、これは尊厳死と判断され、不起訴になりました。

一方、「東海大学安楽死事件」では、末期がん患者さんの点滴に
塩化カリウムを入れて死亡させたことが、問題になりました。
これは安楽死と判断され、起訴されました。

現在、尊厳死は無罪、安楽死は有罪、というコンセンサスが
出来つつあるようです。

次に、認知症終末期の人が食べられなくなった時に、経管栄養や
胃ろう栄養を行わずに、自然な看取りを行った場合を考えてみましょう。

本人の意思表示は、もはや不可能です。
1人の子供は、同意していましたが、もう1人の子供が、
「適切な延命処置を怠ったから死亡した」と訴えればどうなるのか?
私は、法律の専門家ではないので、正解は知りません。

しかし、ある医師の集まりで、この問いを投げかけたところ、半数の医師は、
「裁判では負けるだろう」に○を付けました。

だから病院の医師は、患者さんを外へ出す時に、家族等に充分な説明を
せずに胃ろうを入れる、という見方があります。
裁判対策としての胃ろうです。

先ほどの尊厳死の判例を見れば、有罪にはならないでしょうが、
訴訟リスクは多少残るので、医師はそれを恐れているのです。
もし訴えられれば、それだけで仕事になりません。
(私は訴えられた経験がないですが)

日本尊厳死協会は、最初は「安楽死協会」という名前だったそうで、
ずいぶんと誤解を受けたと聞きました。
しかし現在、「尊厳死」という言葉はかなり認知されてきました。

前回、「法制化」と書きましたが、私は尊厳死という概念を法律的に
認知していただくことだと、勝手に解釈しています。
その意味で、「尊厳死」という言葉を歓迎しています。