患者さんが医療機関を受診することをためらう最大の理由は
「もしかしたらがんかも?」と恐れているからでしょう。
しかも、いくつかの検査は何日にも分けて行われて
病理検査をした場合は、ドキドキしならが待つというストレスが加わります。
医者は「まずがんだろう」と思っても病理検査の結果が出てから説明します。
患者さんは、ドキドキしながら、その結果発表を待つことを強いられます。
ポイント
- 患者さんは、「がん」という言葉を恐れている
- 内視鏡で組織を取らないと、がんかどうかは確定しない
- 胃の場合、「がん」と「悪性」は同義
- 病理組織検査の結果が出るまで、約1週間かかる
- がんと判明したら、進行度がどの程度なのかの検査に入る
悪性〟の可能性
進行した胃がん患者さんの何割かは、慢性的に吐き気を感じているものだ。
看護師に胃カメラの指示を出した。
そして私は、信夫さんの腹部エコー(超音波)検査の準備に取り掛かる。
このときの私の想いはただ一つ。「信夫さんが胃がんなのは、まず間違いがないだろう。
ただし肝臓や肺に転移がなければいいが」、ということである。はたして、肝臓や肺に転移は見つからなかった。
正確に言うと、先回りして行ったエコーでは確認できなかった。二時間後。再び鈴木さん夫妻を診察室にお呼びする。胃カメラの結果は、案の定だった。
直径5㎝に及ぶ3型の進行胃がん。胃の出口に近い場所に腫瘍があるので、
早晩、がんが胃の出口を塞(ふさ)いでしまう可能性がある。
そのためがんを取り除く手術をするべきである。胃の三分の二は切除する必要がある。
ああ今日はヨリ子さんを笑顔にしてあげられないな、そう思いながら内視鏡の結果をお話しする。
残念な知らせを伝えることは、医者を何年やっても慣れることはない。
もし「バッドニュースの上手な伝え方」、という本があれば私は急いで買い求めるだろう。
――ここに、大きな〝潰瘍(かいよう)〟がありますね。胃の出口である幽門(ゆうもん)のすぐ手前です。
潰瘍の周囲が汚く盛り上がっているのがわかりますか。かなり大きい潰瘍です。「潰瘍ですか? がんではないのですか?」
慣れない胃カメラ検査の後で、信夫さんの顏は二時間前よりもさらに弱々しい。――そうですね。〝悪性〟の可能性もあります。
私は極力「がん」という言葉を使わない。
がんという言葉を使わずにバッドニュースを遠回しに伝えることから始める。
ご夫妻の顔色をうかがいながら。がん患者は、いつからがん患者になるのだろう。
それは、がんが体の中にできたときではない。
医者から「あなた、がんですよ」と宣告されたときからだ。しかし〝悪性〟という言葉だけでもご夫妻はもちろん、悟(さと)る。
「悪性ということは、つまり、がんですよね、胃がんなのですね、私は」がんも悪性も、同じ意味なのだが、〝悪性〟のほうが言葉の響きにどこか救いが残るという患者さんが多い。
さらに怖がりの患者さんには「たちの悪いモノ」という言葉を使う事もよくある。
認めざるをえないという表情と、認めてなるものかという表情半々。はじめは誰もがこうした表情をされる。――まだ確定したわけではありません。悪性の可能性があるというだけですから。
私も時々、間違えた診断をしてしまい、後で謝ることがあるんです。「可能性っていうのは、あの、確率でいったら何パーセントくらいの……」
目を見開いたままのヨリ子さん。声が震えておられる。
やはりバッドニュースの伝え方に慣れることはない。――残念ですが、私は〝高い〟と思います。
しかし、何パーセントというのは現段階では、はっきりは申し上げられない。
病理(びょうり)検査(けんさ)の結果が出るまではね。一週間後のこの時間に、また来られますか。
その時には結果が出ています。先ほどの胃カメラのときに、組織の一部を取らせていただきました。
悪性であるかどうかは、病理のお医者さんがこの組織を検査し、がんか否かの判定をしてからです。
その結果が出ないかぎり、診断は確定しません。時にはこうして少しトボけるのも町医者の仕事だ。
何事でもワンクッション置いたほうが、ショックが軽く済むことを経験的に知っている。「一週間後ですか。私は来週、東京の娘のところに行かなければいけなくて。あなた、次は一人で来られるわよね?」
――ヨリ子さん、申し訳ないけれど、東京行きはどうかキャンセルなさってください。
できればまたご夫妻で来てほしいんです。そこで、ほとんどの人が察しはつくだろう。
お一人ではなくご家族も一緒に、というこの言葉だけで。
三十秒ほどの沈黙があった後、信夫さんが口を開いた。「あの、もし、がんだとしたら……ステージはどのくらいですか?」
【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】※ アピタル編集部で一部手を加えています