《1846》 がん宣告は死の宣告ではない [未分類]

がんを宣告されたら、多くの患者さんは「死」を意識します。
しかしもちろん、がん=死、ではありません。

一生のうち2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死んでいます。
ということは、6人に1人は、がんになるががんでは死なない。

つまり早期発見で助かるか、がんになるががん以外の病気で亡くなるかです。
異論を唱える医師もいますが、多くのがんは早期に対処したほうが有利です。

ポイント

  • がん=死、ではない
  • がんは2人に1人がかかり、3人に1人が死ぬ「国民病」である
  • 早期発見・早期治療で助かる人はいくらでもいる
  • もしそれを否定するならば、がん治療は全て「傷害罪」で訴えられるはず
  • しかし現実には早期発見できなければ医者は何千万円単位の損害賠償責任を負う

 

がん宣告は死の宣告ではない

そして一週間が経過した。

鈴木さんご夫妻は一週間前に約束した時間に、再び私の診察室を訪れた。
ヨリ子さんの顔がやつれていた。お二人とも目の下にクマができている。身構えるように座るお二人。

――病理検査の結果が出ました。
鈴木さん、大変残念ですが、やはり胃がんでした。進行胃がん。3型の進行胃がんです。

「3型……スキルスですか?」
 
――いいえ。進行胃がんがすべてスキルスではありません。進行がんには、その形によって1~4型までタイプがあります。
スキルス性胃がんと呼ばれるのは4型のこと。鈴木さんの3型は、潰瘍(かいよう)を形成し周囲に浸潤(しんじゅん)していく潰瘍浸潤型と呼ばれるものです。

一つずつ、単語を紙に書きながら説明をさせて頂く。
なるべくゆっくりと、淡々と。一週間前の初診のときにはお伝えしなかった〝がん〟という言葉をここで初めて使った。
ヨリ子さんは、やっぱりと大きく、深くため息をついた。

「でも、進行胃がんということは……かなり進んでいるのでしょうか?」

――胃がんは、「早期胃がん」と、「進行がん」との二種類に分けられます。
鈴木さんの場合、ちょうどこの狭間あたりにおられます。

この絵を見てください。胃壁というのは、幾層にもなっているんです。
胃の内側から粘膜層、粘膜下層、固有筋層、漿(しょう)膜(まく)下層、漿膜という名前がつけられています。
胃がんは、内側の粘膜から発生します。内側からどこまで外側に向けてがんが広がっているかを、深達度(しんたつど)といいます。
粘膜下層に届こうとしている場合は早期がんと呼ばれ、粘膜筋板(ねんまくきんばん)というものを超えて浸潤している場合を進行がんと呼びます。

「進行がんとはつまり、末期がん?」

信夫さんの声が小さくかすれた。ヨリ子さんは大きな瞳をさらに見開くようにして、
私が書き連ねる言葉を一文字一文字、睨(ね)めるように見つめている。

――それは違います。進行がんと末期がんはまったく違います。末期がんというのは、そうですね、
医学的には実は明確な定義はないのですが、言わばがんが全身に転移して、どんどん増殖している場合のことです。
鈴木さんは、まだまだ治療でどうにでもなる状態。ここを混同してはいけませんよ。あなたは、末期がんではありません。

「ということは、進行がんの可能性が高いが、まだ末期ではなくて、転移はないかもしれない」

――エコーでは転移は確認されませんでしたが、可能性はゼロとは言い切れません。
そうそう、血液検査による腫瘍マーカー(CEA)の値は11でした。通常値なら5以下です。
5~10までがグレーゾーンというところかな。
今から紹介状をお書きしますので、がん治療の施設が揃った大きな病院に行ってください。

この瞬間に鈴木信夫さんは、がん患者になった。
今日このときからが、闘病一日目である。
これだけ治療が革新的に進歩したとて、多くの人にとってがんの告知は死刑宣告に聞こえるのだ。

どんなに淡々と伝えようとも。私はボールペンを置き、ご夫妻と沈黙の時間を共有する。
クリニックの待合は今日も混雑し騒がしいはずなのだが、この瞬間だけはいつも無音に感じられる。
信夫さんは、二度ほど大きな吐息をついた。
そして数秒瞑目(めいもく)されてからこう訊いた。乾いた声が無機質に診察室に響く。

「長尾先生、私は死ぬのですか?」


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています