《1850》 宝くじは買わないと当たらない [未分類]

4月2日のこのコラム(第1807回)でご紹介したステージIVの
肺がん患者さんのその後の経過について報告します。

全くの無治療で、CEAという腫瘍マーカーの値は486から16まで
順調に低下しています。いや、補中益気湯だけ飲んでいます。

なぜ、このようなことが起こるのか全く分かりません。
しかし稀に、不思議なことが起こるのが臨床現場です。

がんが完治するかどうかは、やってみないと分からない。
実際に時間が経過してみないと、予想がつかないのが現実です。

抗がん剤治療の効果には、相当な当たり外れがあると思います。
乱暴な言い方になりますが、やってみないと分からないのです。

分子標的薬の場合は、遺伝子検査である程度の予測が可能です。
近い将来、遺伝子検査別の抗がん剤治療に確実に移行していきます。

【今日のポイント】

  • がんの自然退縮を稀に経験するが理由はよく分からない
  • 抗がん剤治療の“ご褒美”は、やってみないと分からない
  • 不謹慎なたとえかもしれないが、宝くじに似ている
  • 宝くじは、買わないと絶対に当たらない
  • 医者は、10に1つでも当たれば大成功だと考える

 

それでも、完治する可能性はゼロではない?

 それでも、「完治する可能性はゼロとは言えない」と先ほど書いたのには理由がある。おい、医者のくせに言っていることが矛盾しているじゃないかと思われるかもしれないが、抗がん剤が劇的に効く人がいるのも現実だからだ。

 私も、手術と抗がん剤でまさに奇跡としか言いようのないくらい元気な状態が十年近く続いた患者さんを、今まで何人か見てきた。もうダメかなと思っていた患者さんの全身がんが、嘘のように消えてしまったケースも経験した。

 そう、私の記憶に鮮烈に残っている葛城さんという60代の女性の話をしよう。体調に違和感を覚えて私のクリニックに来られたときはもう、すでに手の施しようのない肺がんの末期だった。全身に骨転移しており、大病院で検査したその日に余命2カ月と宣告された。

 肺がんは、特に骨転移を引き起こしやすい。がん細胞が血液の流れに乗って、破骨細胞という骨の新陳代謝を促す細胞を乗っ取ってしまう。こうして肋骨や胸椎、さらに骨盤や腰椎の中に入りこんだがん細胞は、内側から骨の破壊していく。放射線や鎮痛剤などで痛みを緩和していくしかないのだが、骨転移が進行していくと、骨が脆くなってすぐに骨折してしまう。

 葛城さんが余命宣告を受けたのは、2002年のことだった――その年は、日本のがん治療において忘れられない年である。何が起きたか? 肺がん治療薬(分子標的薬)の「イレッサ」(一般名:ゲフィチニブ)が世界に先駆けて日本で承認された年だ。承認からわずか半年で保険適応となったことも当時は異例中の異例だった。

 葛城さんは、その「イレッサ」を、藁をもすがる気持ちで試した。イレッサは当時、“夢の抗がん剤”と謳われたほどに前評判が高かった。なぜなら「手術不能な肺がん患者に有効で、しかも副作用がほとんどない」という触れ込みがあったからである。そりゃ、夢のようである。そんな薬がほんまにあるんかいなと私も大変興味を持った。

 それからわずか半年後には、副作用とみられる間質性肺炎で死亡した人が続出。承認から二年後には、医療界が大騒ぎとなった「イレッサ訴訟」が起きたことを覚えている方も多いだろう。「副作用がないと聞いたから試したのに、副作用とみられる間質性肺炎で死んだ」というのが原告側(遺族側)の主張で、製薬会社と国を訴えたのである。

 ここから先の展開はあまりにもややこしいので、もしも興味のある方はネットで調べられるといいが、その「イレッサ」で、葛城さんは全身の骨転移が消えてしまったのである。

「ながおせんせえ、ながおせんせえ~」

 それから1年後。尼崎の商店街で偶然私を見かけた葛城さんが、スーパーの大きな買い物袋を手に駆け寄ってくる。頬を紅潮させ、腕をぶんぶん振っている。

「おお葛城さんか。走らんでええよ、走ったらあかんて」
「いやもうぜ~んぜん大丈夫。私が余命2カ月だって大病院から言われたとき、長尾先生もそう信じはったんやろ。『葛城さん、私が在宅で最期を看取りますから、安心してくださいね』って両手を握って言うたやん。なあ、あれからどんくらい経ったん? なんで私は今日もこうしてスーパーでお惣菜を買うてるんかな、あはははは。大病院も長尾先生も大ハズレ~。まあ、せいぜい私よりも先にあの世に逝かんように、今日も往診頑張ってな~、ほな!」

 と何度、町中でヤブ医者呼ばわりをされたことだろうか。余命2カ月と診断された葛城さんは、その後7年半生きた。7年半、訴訟や副作用のニュースも気にせずに、彼女はイレッサを飲み続けた。食欲はいたって旺盛、副作用も出なかった。

 私は何も、イレッサの副作用を否定しているわけではない。しかし、こういう患者さんがいたのも事実である。私と大病院の見立ては大ハズレし、“いわくつき”の抗がん剤で、彼女は大当たりを引き当てたのだ。もしも葛城さんがあの時、イレッサを試していなければ、99パーセント、1年以内に寿命が尽きていただろう。

 彼女は回復した後、がん患者の会のイベントなどに積極的に出席し、講演をされていた。私も何度か拝見した。壇上で、患者さんたちにいつもこう話した。

「医者がもうあかん、と言ったからって、望みはさいごまで、捨てたらあかん」

 ありふれた台詞には違いない。しかし、会場の隅っこで私は感銘を受けた。

「抗がん剤でがんが消えた」は医師にとってもドリームジャンボ!?

 他にも何人か、葛城さんのような「大当たり」を抗がん剤で引き当てた患者さんを知っている。ならばその方達の共通点を知りたいと言われても、そんなものは一つも見つからない。

 あえて言うならラッキーだった人達、という言葉しか浮かばない。そう、抗がん剤治療とは「宝くじ」のようなもの。乱暴な言い方になるが、誰に当たるかを予想することができず、見当がつかないからこそ、やっている。誰にだって宝くじを買う権利はあるのだ。

 それなのに、はなから「抗がん剤治療は猛毒。患者さんのQOLをいたずらに奪うだけである。あんなものは製薬会社の儲けのための罠であり、やっても意味はない、放置しろ」と持論を述べる医師は、患者さんから、「大当たり」の可能性をも奪っていることにもならないだろうか

 医師が本当に伝えるべくは、「大当たり」の可能性を患者さんから奪うことではなく、「この治療をすると、どんなリスクがあるか」を懇切丁寧に説明することだと思っている

 しかし大病院の場合、形だけのインフォームドコンセントを行うが、十分な説明をせぬまま、もしくは患者さんが訊きたいことを訊けぬまま治療に入るケースがある。

 病院の規模が大きすぎると、患者さんが詳しいことを訊くに訊けない雰囲気がある場合も多いのだろうが、治療前に「抗がん剤は猛毒です、しかも治るのは、宝くじほどの確率でしかありません」と正直に伝えれば、大切な患者さんに逃げられてしまうこともあるからだろう。

 基本的に、専門医は抗がん剤治療を試したい。別にそれは、製薬会社から接待を受けたとか、研究費を貰ったからとか、そういうマスコミで騒がれていることが直接的に働いているわけではなくて、医師として純粋に試してみたいし、自分の手で患者さんを治したいのだ。

 もう昔のことだが、ある抗がん剤治療のパイオニアの先生が、私にこう話してくれた。

――たしかに患者さんの体力を過度に奪うことはままある。しかし、大当たりがたまにあるからね。だから私は抗がん剤治療をやめられないんだよ、長尾君。町医者の君には永遠にわかるまいがね。

 この言葉が今でも忘れられない。あの先生が仰った通り、“やめられない”という感覚を私には理解できるようで、できていないかもしれない。さらに言うならば、医療者は手術が失敗して遺族から訴えられることはままあるが“抗がん剤治療”が効かなくて訴えられることは、まずないのだ。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています