《1852》 なぜ、退院後2週間で抗がん剤治療なのか? [未分類]

がんの手術が終わり、めでたく退院してから2週間もたたないうちに
外来で抗がん剤治療が始まることがあります。

完全に切除できたと思っても、取り残しがあるかもしれないからです。
もし残ったがん細胞があるならば、少ないうちに攻撃したほうが有利?

本当に有利かどうかは分かりませんが、相手が少ない時期に全滅させたい。
患者さんには、「再発予防のための抗がん剤治療」と説明されているはず。

しかし、何のためにやっているのか理解しないで、医者に言われるまま
抗がん剤治療を受けている人もおられます。

できれば担当医に素朴な疑問をぶつけてみてください。
納得した上でがん医療を受けてほしいものです。

【本日のポイント】

  • いまどきの急性期病院は、2週間程度で退院となることが多い
  • 再発予防を目的に、術後早期から抗がん剤治療が始まることがある
  • がん治療の目的が分からなければ、納得するまで主治医に聞くべき

なぜ、退院2週間で抗がん剤治療なのか?

 4月も半ばになった。

 今年の桜は満開とともに春の嵐にまみれ瞬く間に散りゆき、若々しい緑色がちらほらと車窓から見える頃となった。ゴールデンウィークは、東日本大震災の被災地に入ろう。そんな準備を始めていた頃、鈴木さんご夫妻が再び私のクリニックを訪れた。

 鈴木信夫さんは手術が無事終わり、Aがんセンターから退院されたという。がん患者さんの外科手術後の退院は、昔なら1カ月はかかっていた。しかし今どきは驚くほど早い。開腹手術であってもおよそ1週間から10日前後、早い方であれば、術後5日で退院という方もおられた。盲腸の手術と変わらない期間だ。

 「長尾先生 術後の抜糸もそちらでお願いします」と大学病院の主治医から手紙をいただいた時は、そこまで早く出すのかとさすがにびっくりしたが。

 それは別に大病院の怠慢ではない。多くの患者さんが手術を待っているのだ。術後ある程度の回復をされたのなら、一日でも早く退院し外来治療に切り替えて、手術を待っている次の患者さんを迎え入れるのが大病院の社会的使命なのである。「寝ているだけで1日1万円の入院保険がおりるので、一日でも長く泊まっていたいのだが」などという考えは通用しにくくなった。

 鈴木さんは、手術から10日間でめでたく退院できたそうである。術前にお会いしたときよりもさらに痩せられていたが、お顔には生きる気力が少し戻っていた。今度はスーツ姿ではなく、細くなった体のためにヨリ子さんが新しく買われたのだろう、初夏の空を思わせる明るい水色のポロシャツ姿で。

――鈴木さん、お帰りなさい! 出所おめでとうございます! オツトメ、本当にご苦労様でした。

 あえておどけて、笑顔で診察室に迎え入れる。鈴木さんもつられて顔をほころばせる。胃を3分の2摘出。術後診断により、ステージは当初のIIBからIIICへ上がった。なぜ、町医者の私がそんなことまで知っているのか? それはAがんセンターの地域連携室から術後の詳細な情報をFAXで早々と頂いているからだ。

鈴木信夫さんの術後経過を報告いたします。

胃を3分の2摘出。32個のリンパ節を廓清(手術の際にリンパ節を摘出し、がん細胞が存在しているかどうか組織検査をすること)。うち11個のリンパ節が組織検査で陽性でした。よってステージはIIIC。術後腫瘍マーカーは術前の18から3まで下がっています。退院後は、再発予防のために、補助化学療法を行っていきます。

 懸念していた転移巣が見つからなかったことにまずはホッとする。

 ここで、胃がんの手術においてリンパ節を摘出する意味を話しておきたい。リンパ節というと、鎖骨のあたりを思い浮かべる人も多いかもしれないが、実は全身に点在している免疫器官だ。リンパ液の関所のような場所である。胃の周囲にもこのリンパ節が多く存在している。

 胃にできたがんが、他の臓器に転移する場合は、この“関所”を通らないとならない。つまり、手術の際に胃だけではなく、がんのそばにあったリンパ節も取ること(廓清)により、転移の組織検査もできるのだ。

 風薫る娑婆の空気を久しぶりに味わったのだろう、信夫さんはにこやかだった。少年のような笑顔。こんなふうに笑う方だったとは。その横でヨリ子さんが力なく微笑む。胃がんのステージIIICの5年生存率は50パーセント以下……ヨリ子さんの心からは、その残酷な数字が、拭えども消えずにおられるのだろう。

 生存率なんて、言わばただの統計データに過ぎないのだが、患者さんとそのご家族は、5年後に自分が生きている可能性としてこの数字を捉えがちだ。

「長尾先生、私のがんを見つけてくださり本当にありがとうございました。おかげさまで、Aがんセンターでの手術が成功しました。まだ食欲はそれほどありませんがだいぶ落ち着きました。体重は3kgほど減って66kgです。仕事にも、来月から復帰してもかまわないと言われましたよ」

――よかったですね。本当におめでとうございます。抗がん剤治療はいつから始まるのですか?

「2週間後から外来で、ということです」

――そうですか。ということは、まずTS-1からいくのでしょう。経口薬の抗がん剤です。それまではゆっくり休養なさって、体力を十分につけてくださいよ。

「しかし先生、“念のための抗がん剤治療”だと担当医も言っていたし、せめて退院後1カ月くらいは病気のことを忘れて、ゆっくりしたいんですけれどねえ」

――2週間後から抗がん剤と知れば、手術の成功も退院も、確かに手離しでは喜べないですよね。でも万が一、微少転移といって、まだ目には見えないがん細胞が鈴木さんの体内に残っていた時に、やはり少し体力が回復された2週間後くらいから抗がん剤治療を始められたほうが、医学的には効果が高いのです。

 先ほど抗がん剤治療は体力との勝負と述べた。それならば、退院2週間後といわずに、もっと体力が回復してからのほうがベターだろうと疑問に思われる人もいるかもしれない。

 しかし、鈴木さんが元気を取り戻したときは、鈴木さんの体内に取り残されているかもしれないがん細胞も元気を取り戻してしまうのだ。

 がん治療とは、体内を戦場にしたがん細胞と医療の戦争である。大きな砲撃を打ち込んだ(手術をした)直後のほうが敵の兵隊の数も少ないし、戦力だって弱っている。そこに一気に、抗がん剤という新たな兵力を送り込んで、さらに向こうの戦力を奪おうということである。

「がんを徹底的に治すためですから、たった2週間後でも、主治医から始めると言われたら、それに従うしかないのかな。多少の副作用は我慢するしかないのかな」

――抗がん剤の副作用が人によって出方がさまざまです。一概にどんな我慢を強いられることになるのか、ここでは申し上げられませんが、つらくない人は皆無でしょう。だけど、我慢する必要はありません。そのために、私がいると思ってください。

「そのために、長尾先生がいる?」

――これからしばらく続く抗がん剤治療で、必ずやしんどい時が訪れます。しんどくなられたら一人で我慢しないで、いつでも私のところにきてください。体力の回復をサポートする点滴を打ちましょう。もしこちらに自力で来ることがむずかしくなれば、在宅医療という選択肢もあるし。

「でも、そんなことをしたら、Aがんセンターの人に怒られるのではないでしょうか。長尾先生も、私の主治医はあくまでもAがんセンターの先生だと手術前に言っておられたじゃないですか」


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています