抗がん剤治療を受けながら、働いている人が時々います。
やはり収入が無いと医療を受けることができませんので。
しかし大半の人は、休職したり退職に追い込まれます。
それでも、医療費は発生します。
特に抗がん剤の医療費はとても高価なので、1カ月で8万円を超えた
部分は後から返って来るとしても、一時的には払わなくてはなりません。
がん患者さんの心配の半分は、実はお金の問題なのです。
多くの場合の自己負担は、3割と重いです。
その人が在宅医療も受けようと思っても、これまた医療費の負担が気になります。
医師や看護師には来てほしいが、来てもらうとお金がかかってしまいます。
高齢者の1カ月の自己負担の上限は1万2千円ですが、50歳代は約8万円です。
民間の入院保険の多くは、入院にしか保険料が出ないので、入院したがる人も。
かかりつけ医は、患者さんのお金の相談に乗るという役割も担っています。
ファイナンシャルプランナーを雇用している在宅クリニックもあります。
【今回のポイント】
- がん患者さんの就労問題は大きな社会問題
- 同時に、就労世代の医療費問題も大きな課題
- がん療養とお金の問題は密接な関係にある
抗がん剤とお金の話
かくして鈴木信夫さんのTS-1における抗がん剤治療は順調に進んでいった。
6月下旬、梅雨の晴れ間に自転車を漕いで私のところを訪れたときには、2コース目が始まっていた。怠さは増しているという。そして歯茎に少し出血。再度ステロイド系の軟膏と、ビタミン剤を出す。食欲はあったり、なかったり。しかし体重は現状維持。まだまだ闘える体力は十分あるように見えた。
「長尾先生、1コース目終了時の検査、結果が出ました。腫瘍マーカーの数値も肝機能も問題なしです。多少の副作用はありますが、これなら一年くらいは順調に続けられるような気がしてきました」
――それは何よりです。では、お仕事もうまくこなされているんですね。
「社内の人間は、もう全員が私のがんのことを知っています。最初は隠し通そうとも思いましたが、外来で抗がん剤治療を受けながら、こうして長尾クリニックにも通っていることをわざわざ隠す必要もなかろうかと。そして、部下達ががんになったときに、がんになっても仕事は続けられるんだよ、と私がお手本になればいいと思ったのです」
――いいお考えですね。がん患者さんの就労問題は、いまとても大きな社会問題です。がんと診断された時点で、すぐに会社を辞めてしまう方もまだたくさんいらっしゃいます。治療で仕事がおざなりになることによって周囲に迷惑をかけたくないという、日本人ならではの美学ですかね。
しかし、がん=死ではないんだから、早々に会社を辞めることなんかないのです。雇用者側がルールを作るというよりも、社員である患者さん達が率先してレールを敷いていくことが大切だと思います。私もいくつかの企業の産業医を務めているので、この問題はとても気がかりなんです。
2012年の厚労省の調査では、がんと診断された時点で、それまで働いていた人の4人に1人は退職し、また、2人に1人は収入がダウンしているそうです。会社から退職を促されなくとも、周囲に空気を気にして自主的に退職される方も多い。これは社会全体の喫緊の課題なんです。
「私の場合は幸いにして、会社の規模が大きくないこともあり今回のプロジェクトからも外されることはありませんでした。社長から、引き続き頑張ってほしいと言われたことが今は何よりの希望です。
退院後、仕事を続けたいと希望した私に対して心配ばかりだった妻も、今では“これから先の治療にいくらかかるかわからないんだから、まだまだ働いて頂戴ね”だなんて、冗談だか本気なんだかわからないことを言うようになりました。
しかし先生、抗がん剤の薬代というのは、たとえ保険診療であっても結構取られるものですねえ」
――そうでしょう。抗がん剤治療を始めた方は、多くの人がそう漏らします。どうしてそんな値段設定になるのか私も知らない。医者は、薬の値付け事情には疎(うと)いんです。薬の値段というのは、医者じゃなくて、お役人が決めていることだから。
鈴木さんのTS-1だと、1コースで3万円くらい取られているんちゃう?
「だいたいそれくらいですね。1日約1000円というところですかね」
―― 鈴木さんの場合、保険診療なのがまだ救いですよ。抗がん剤の真価は、実に不思議です。たとえば、同じ抗がん剤でも、胃がんなら保険適応なのに、すい臓がんには適応しない、なんていうケースがたくさんあるんです。
「それはなぜですか?」
――エビデンス(その治療法が有効であるという証拠)が認められているかどうかの問題です。また、承認されていない薬を輸入して試す場合は、月に数十万円も使っている人もいるみたいだからね。
「先生、日本というのは、つまりは“抗がん剤後進国”なんですかね。私の飲んでいるTS-1は、珍しく国産の製品だというのは聞きましたけれど」
――後進国だということはない。日本は最も抗がん剤治療に積極的な国です。もともと、お薬が好きという国民性があるし、何よりも国民皆保険制度だからです。
先ほど申し上げたがんによる保険適用、適用外のチグハグ感は否めないけれど、国民皆保険制度だからこそ、たくさんの人が抗がん剤治療を受けられているんです。しかも減少傾向にあるとはいえ、日本人は胃がんが多いでしょう? だからその分、国内メーカーも必死に自社商品を売ろうとします。
一方、日本人にとって稀ながんにかかってしまった人は、そのぶん苦労するのも事実です。
鈴木さんには申し上げなかったが、さらに患者さんを惑わすのが、抗がん剤のジェネリック医薬品(後発医薬品)である。最初に開発された薬(先発品)は、開発研究費に巨大な金額を投資しているため、特許を取ってその費用を回収しようとする。
この特許が切れた後に、他メーカーが追随して作った薬をジェネリック医薬品という。開発費の負担が少ない分、先発品のおよそ3割ほど安い設定で販売される。たとえば鈴木さんがTS-1のジェネリックを使おうと思えば、1日約300円、かけそば1杯分が浮くことになる。
これについては、町医者の私は良いとも悪いとも言えない。一言でジェネリックと括っても質のばらつきまではチェックできないからだ。1日300円ぽっちなら、より信頼度のある先発薬を使うべきとも思うが、1年を通せば……どうか。経済的な状況からこちらを選ぶ人が、今後は増えてくるだろう。
進行に伴いがんが転移して、1カ月で10万円以上が飛んでいくという患者さんもザラだ。
たとえば大腸がんから切除不能な肝転移となったある患者さんは、それまで月3万円ほどだった費用が一気に16万円になった。1回8万円の点滴が月2回で16万円である。治療費を賄うためマンションを売りに出すかどうかで、真剣に悩んでおられたので(それこそがん患者さんにとってはえらいストレスだ)、私は「高額療養費制度」について説明を申し上げた。
医療費の一部負担金(1~3割)の支払いが限度額を超えた場合、加入している国民健康保険やけんぽ等の保険者が一定額を負担する制度である。限度額は所得や年齢で異なる。窓口でいったん自己負担分を全額支払い、保険者に申請し払い戻しを受ける。入院の場合、事前の申請により窓口支払いは限度額のみとなる。実質、負担額は月8万円が限度額であると覚えておいてほしい。
また、自己負担分については無利子・無担保で貸し付ける制度もある(ただし、保険料を滞納していると利用できない場合がある)。しかしこれにしたって、後からお金が戻ってくるわけで、窓口では自分で全額を支払わなければならないから、うまくお金がまわらない人はやはり一旦困る。
さらに高額な設定である分子標的薬も次々と輸入され、薬代だけで、がん患者一人あたりおよそ500万円かかっているという報告もある――今後我が国においてTPPが全面解禁となり、国民皆保険制度が崩壊したら、受けたい抗がん剤治療を経済的事情から受けられない人が、山ほど出てくるに違いない。
自動車ローンならぬ抗がん剤ローンなどという借金を銀行が持ち出してくるのも時間の問題だろう。
【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】※ アピタル編集部で一部手を加えています