よく、生きることと死ぬことは表裏一体である、と言われますが、
なんだか、分かったような分からないような話にも思えます。
では、生まれる過程の逆回しが死ぬ過程と言えば、どうでしょうか。
私は、陣痛の反対に「死の壁」のようなものがあると思っています。
そんなギリギリまで抗がん剤治療をすれば、きっと後悔するでしょう。
抗がん剤治療は苦しむためではなく、有意義な人生を送るためにある。
ですから、これ以降は有意義ではないと思ったら、止めればいいのです。
主治医に「止めたい」と相談すべきだと思います。
主治医に相談しにくければ、近所のかかりつけ医に相談してください。
そんな相談ができる「マイドクター」を持っていると、何かと便利でしょう。
【本日のポイント】
- 陣痛の反対が、死の壁である。
- 死ぬ直前まで抗がん剤を打てば、後悔することが多い
- 抗がん剤の止めどきは、主治医やかかりつけ医と相談して決める
抗がん剤治療は、苦しむためではなく、有意義な人生を送るため!
そのとき、待合室のほうからきゃあっとご婦人たちがざわめく声がした。続けて子どものはしゃぐ声。どうしたんだ? と看護師に尋ねた。けたたましい虫の羽音も聞こえだした。
「患者さんのお子さんが、大きなアブラ蝉を捕まえて院内に放してしまったんですよ。すぐに捕まえますから大丈夫です。ああ嫌だ、断末魔の蝉って。正体を失ったように縦横に飛び回るんですもの。なんだか怖いくらい」
看護師はきゃははと笑い、鈴木さんの視線を感じて口を閉じた。
「断末魔の蝉か。もう秋ですな。ああ申し訳なかった。ついエラそうに長話をして。お恥ずかしいな。がんになる前はもっと冷静沈着な男だったんだが。
それにしても今日はやけに蝉の声がうるさいね。そろそろ蝉も死にどきやろか。地上で1週間しか生きられへんのに、最期はあんなに苦しんで。長尾先生、もう一つ質問をしていいですか。私の最期も断末魔の蝉みたいに苦しむことになるのかな」
――だから、あなたはまだ治療途中。末期がんではない。私はそういう意味で抗がん剤を休んだらと申し上げたわけでは……。
「わかっています。ただ狂ったような蝉の声を聴いてそう思っただけの話で」
――最期に苦しむかどうか、ですか。そうはならないし、少なくとも私はそうはさせません。過剰な延命治療……抗がん剤のやめどきを間違えなければ、です。
しかしそれとは別に、人間の最期には誰もが越えねばならない“死の壁”があります。人間だけではない、犬にだって猫にだって、今の蝉だってそうです。くるくると方向もわからずに飛び回っている瞬間が蝉にとっての死の壁ではないでしょうか。生きとし生ける者は皆、死にゆくときに一つの壁を越えなければならない。
「死の壁ですか。“バカの壁”という本は読んだことがあるけれども」
――はい。これは私が勝手にそう名付けているだけですが。違う世界に魂が移動するときは、壁があると思うのです。人間、この世に生まれてくるとき、苦しいでしょう? 十月十日ほど新しい命はお母さんの子宮の中にいて、そこからこの世に生まれてくるとき、赤ん坊は皆泣いています。
生前の世からこの世に出るときも、苦しい。それと同じように、この世からあの世に旅立つときも、意識が朦朧とした状態で死の壁みたいなものは存在します。僕の経験でいうと、数時間から一晩かな。
よくあるテレビドラマのシーンのように、直前まで普通にベッドの上で会話をして、なんの苦痛のない表情のまま一瞬でコクリと亡くなるということはまずないね。死のシーンに限っていえば、日本のテレビドラマはぎょうさん陳腐なシーンを描いてきたんですよ。そのせいで、最期の最期まで本人としっかりお話をしながらお別れができると思っている家族が未だたくさんいて困ります。
実際には、人はあの世に逝く過程で苦しみます。だけどそれを越えたとき、驚くほど穏やかにあの世へ旅立っていける。長年、在宅医として看取りをしていますと……うまく言えませんが、そういう仕組みが、そもそも人間の脳にはインプットされているように思います。死の壁はあるけれども、死の瞬間そのものは、痛くも苦しくもないはずです。
「わかりました。長尾先生。また来ます。大丈夫。私は抗がん剤治療を続けますよ。また泣き言をこぼしに伺いますが」
――頑張ってください。あなたが頑張れるところまで。あなたの有意義な人生のために。
とぎれとぎれの蝉の合唱の中、鈴木さんは帰られた。
【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】※ アピタル編集部で一部手を加えています