《0186》 がん終末期における尊厳死 [未分類]

今回は、がん終末期における尊厳死とは何かについて書きます。

終末期における延命治療といえば、まず点滴があります。
がんの種類にもよりますが、余命1カ月になると、食べられなくなります。

亡くなる当日まで食べている人やもっと極端な例では、亡くなる直前まで
食べていた人もいましたが、あくまでそれは例外として、通常は徐々に
食べられなくなります。

海外や多くの在宅ホスピス医は、食べられなくなっても点滴をしません。
日本の病院では、かなりの量の点滴をする所が、まだ多いようです。
私は、多くの場合、1日200㎖だけ点滴をします。

200㎖には、様々な思いがあります。
本当は、全く点滴をせずに、自然に看守りたいのですが、なかなか、
そう言い切る勇気がありません。

10年前、全く点滴をしない末期胃がん患者さんがおられました。
骸骨のように痩せこけましたが、実に穏やかな最期を迎えられました。

しかし、亡くなって3カ月後ご遺族が泣きながら駆け込んで来ました。
遠くの親戚に、「病院に入れずに餓死させた」と言われたそうです。

ちなみに我々在宅医は、この類を「遠くの親戚問題」と呼んでいます。
「こんなに悪いのに入院させないなんて」と、言われることもシバシバ。
理屈はどうあれ、ご遺族に感情的なしこりが残ったら、せっかくの
在宅での穏やかな最期も台無しです。

「食べられないのなら少しの点滴ぐらい」と思うのが人情かもしれません。
たかが200㎖ですが、痩せこけた体には、劇的に効く場合もあります。

多くの場合、リンデロンというステロイド薬を1~2アンプル入れます。
その点滴の前後で、一瞬ですが、見違えるように元気になる場合もあります。
それを見たご家族は、必ず「じゃあ、もっと点滴を」と言われます。

点滴することで寿命が延びて、苦痛もあまりない、と判断される場合は、
1日500㎖の点滴をすることもあります。
そうでない時は「500㎖以上点滴をすると、胸水や腹水、痰を増し
苦痛が大きくなるだけでデメリットの方が大きい」と説明して、断ります。

点滴をするのは、訪問看護師さん。
200㎖の点滴に要する時間は30分程度。
貴重な会話を楽しむのに、ちょうどいい時間でもあります。

もちろん点滴を希望されない方もいます。
あくまで希望されたら、200㎖だけの点滴をするだけのこと。
200㎖は、自分の経験から落ち着いた数字でもあります。

在宅医は、ラーメン屋のおやじさん、と似ていると言われます。
その人間の個性が、如実に出ます。
コテコテ味からアッサリ味まで、味の濃さは実に様々です。

私の味は、中庸だと自分では思っていますが、客観的な評価はありません。
人によっては、「コテコテ」と感じられるかもしれません。

こんな私が診た在宅患者さんの多くは「尊厳死」だったと思います。
延命というより、家族の後悔を除くための、ごく少量の点滴は行った。
しかし、これは、私の中ではあくまで「緩和医療」なのです。

ここまで書かずに、「点滴などの延命治療」と表記すれば、
意味が分かりにくいかもしれませんね。
正確には、「延命目的の点滴」と書くべきでしょうか。

似たような問題に、呼吸困難に対する酸素吸入があります。
末期がん患者さんに酸素吸入を行っても、呼吸苦の軽減も寿命の
延長もないことが、医学論文として発表されています。

理屈はそうであっても、いざご自宅を訪問すると、ご家族が薬局で
酸素吸入器を買ってきて一生懸命吸わしている時がよくあります。

こんな時は、酸素の機械屋さんに電話して酸素吸入をさせます。
あくまで延命ではなく、緩和医療としての在宅酸素。
また、ご家族、ご本人の納得のための在宅酸素。
現実には、こんな場面もあります。

在宅医療での「尊厳死」には、この程度の点滴や酸素は含むと考えます。
私が何より重視するのは、充分な麻薬等を用いた、痛みの軽減です。
緩和医療こそが、在宅での「尊厳死」の本質だと考えます。