がんの成長は、一様ではありません。
遅くなったり、速くなったりします。
台風の速度の変化に少し似ています。
いろんなスピードがあるので、予測は容易ではない。
人生のスピードもいろいろです。
早熟な人もいれば、大器晩成の人もいます。
いずれにせよ、物事には経過があり、節目があります。
「曲がり角」と言ったほうが分かりやすいかもしれません。
がん医療においても、曲がり角があります。
しかしどこが曲がり角であるのかは、誰も分かりません。
結局、客観的な指標は無く、どこまでも主観的なものだと思います。
多くの専門医はエビデンスで、曲がり角を決めようとするでしょう。
私はナラティブ(物語)で曲がり角を決めていいと、考える者です。
その方が、たった一度限りの人生に納得がいくのではないでしょうか。
セカンドラインが効かなくなったら、サードラインが用意されています。
サードが終わればフォースやフィフスも用意されていますが、昨日の方がそう。
抗がん剤治療の曲がり角とは、“やめどき”であると認識しています。
その曲がり角の判断を間違えないように、いろんな相談相手がいればいいですね。
【本日のポイント】
- 抗がん剤治療には曲がり角がある、と考えておこう
- セカンドライン、サードラインとなるほど効果が劣ることが多い
- 分子標的薬が著効することがあるため、曲がり角はますます難しくなる
抗がん剤治療の「曲がり角」
梅雨になった。
長雨が続く日々。この頃から、信夫さんは、休薬期間も熱が下がらなくなっていた。体温は、38度をいったりきたり。毎晩のように、耐えがたい怠さを訴えるようになった。今までの私の経験では、シスプラチンは6~8コースくらいがどの患者さんも限界のようだった。
6コース終了時のAがんセンターの検査において、鈴木さんの腫瘍マーカーは、一気に9から80まで上昇していた。こうした急な上昇を、抗がん剤治療の「曲がり角」と表現する医者もいる。熱が下がらないのは、腫瘍熱か腸内細菌叢の変化のためであろうか。
6コース目が終了し、検査結果が出たのちご夫妻で私のところを訪れた際、信夫さんは、力なく私にこう伝えた。じっとりと蒸す季節となっていたが、もうニット帽を脱ごうとはしない。
「もうシスプラチンも効かないそうです。この抗がん剤が効くピークは過ぎたと、今日担当医から言われました。そして、次の抗がん剤をやりましょうと提案されたのです」
――鈴木さんご自身は、次の抗がん剤を受け入れる気持ちがありますか。
「わかりません。正直、わからない。シスプラチンはたしかに辛かったが、だから旅行にも行けましたし、なんとか6コース私は耐えてきました。もし、次の抗がん剤が私に延命をもたらしてくれるというなら……受けたい、とは思う。だけどこの身体がまだ耐えられるのか、どうか」
――鈴木さん。Aがんセンターでも言われたかもしれませんが、一般的に、ファーストラインよりもセカンドライン、セカンドラインよりもサードラインの抗がん剤は効かなくなっていく。もしかしたら、ただ苦痛をもたらすだけで、まったく効かない、という場合もある。
「だけど、抗がん剤をこれ以上やるのも恐ろしいですが、この先何もしないのは、もっと恐ろしいのです」
――そうですか。だけど約束してください。サードライン、辛ければ途中で投げ出しましょう。抗がん剤のやめどきです。まったく効かない場合もあれば、効く場合だってもちろんあるのだから。副作用と天秤にかけて、効いているほうが鈴木さんにとって有意義な人生を過ごしていると思えば、続けられればいい。
鈴木さんは、静かにうなずかれた。
「Aがんセンターから、サードラインについて、2種類の抗がん剤の提案がありました。一つ目は、タキソテールという薬。もう一つ目は、イリノテカンという薬です」
患者さんに選ばせるのは、そこじゃないだろう…小さく舌打ちをしてしまった。
サードラインをやるか? やらないか? を患者さんに選んでいただくのなら、話はわかる。しかし、今やっている抗がん剤が効かなくなりましたから、次に行きましょう、Aという抗がん剤とBという抗がん剤、どちらがよろしいでしょうか、副作用はこのようになっておりますがなんて、珈琲か紅茶かを選ばせるのとは話が違うだろう、そんなことをむやみに訊いて「患者さん主体の医療」だと言うのか――。
タキソテール(一般名:ドセタキセル)は、胃がんをはじめ、乳がんや卵巣がん、肺がん等にも広く用いられている抗がん剤で、シスプラチン同様に点滴薬である。主な副作用としては、発熱、骨髄抑制、関節や筋肉の痛み、比較的軽い吐き気や嘔吐、そして脱毛。また、末梢神経に障害が現れて、手足が痺れたり、難聴やうっ血性心不全や聴力障害が起こることもある。
イリノテカン(一般名:カンプト、トポテシン)は、日本国内で開発された抗がん剤だ。肺がん、子宮頸がん、卵巣がん、非ホジキンリンパ腫。そして、再発した胃がん・大腸がん・乳がんなどに使用されることが多い。主な副作用として、高度の下痢や腸炎。また、骨髄抑制も高頻度で現れ、貧血や敗血症などの重い感染症の恐れがある。そのほかに吐き気や嘔吐、下血、腸閉塞、間質性肺炎などが現れる。
そして、鈴木信夫さんはまだ日本では不認可となっている分子標的薬を選択肢に入れるかどうかでも悩まれていた。
先にも少し書いたが、分子標的薬は、がんの増殖及び転移にかかわる特定の分子(タンパク質やがん遺伝子)のみを狙い撃ちできる抗がん剤だ。乳がんや腎がん、そして肺がんにおけるイレッサのように、がんの種類によってはかなり積極的に使用され始めたものもある。
しかし、鈴木さんのような転移再発した胃がんにおいては、実はまだ、他のがんに比べて明確な効果が見られないのが実情だ。そして何よりも覚えておいてほしいのは、一部週刊誌などで謳われていたように、“分子標的薬は、一切副作用がない”ということは間違いであるということ。
どの選択にせよ、鈴木さんにとってはしんどい道のりだし、そしておそらく、これが最後の抗がん剤治療となるだろう。その後、ご夫妻でインターネット等で、たくさん情報を集められたらしい。
結果、分子標的薬は、やはり承認されていないものを試すにはリスクが高すぎるということからまず選択肢からはずれ、そしてイリノテカンのほうがタキソテールよりも副作用で苦しむことが多そうだという判断から、タキソテール(ドセタキセル)を選ばれた。
もう、私が申し上げることもなく鈴木信夫さんも、ヨリ子さんも、おわかりになっている。これが、最後の賭けであることを。
【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】※ アピタル編集部で一部手を加えています