《1868》 ギリギリ在宅、死ぬまで抗がん剤 [未分類]

知らない家族から突然、SOSを頂くことがよくあります。
「状態が悪いので今から往診してほしい」という依頼です。

往診とは、まさに請われて伺うこと。
そして「行ってビックリ!」なんてことがよくあります。

先日も、慌てて伺うと、痩せこけた老人が横たわっていました。
顔色はとても悪く、肩で息をしていました。

「どうされましたか?」
「主人は、もう何日も食べていません」

御主人は胃がんで抗がん剤治療中であることを、奥さんが説明されます。
お腹を触ってみっると、大人の頭くらいの大きな固い塊に触れました。

末期がんで、余命2週間か……

心の中でそう呟きながら病院でどう説明されているのか、奥さんに聞きました。
本人はボーとしていて、もはや喋る元気もありませんし、ほぼ寝たきり状態です。

「病院の先生からは来週も抗がん剤の点滴に来るように言われていますが」
「はあ???」

果たしてその患者さんは、その1週間後に自宅で旅立たれました。
その3日前に、よくやく病院から届いた紹介状にはこう書かれていました。

「昨年から抗がん剤治療を続けていますが、効きが悪いため
来週から薬剤を変更して行う予定ですが、家族が希望しなければ中止します」

希望もなにも、本人はもう亡くなるというのに、死んでもまだやるのかな?
そんな皮肉のひとつも言いたくなるような、意味不明な紹介状でした。

先回りして奥さんやご家族には、余命いくばくもないことを説明していました。
時間をかけて説明すると、末期も末期で、死が近いことを理解してくれました。

このように家族のSOSが先で、病院からの紹介状が後になることがよくあります。
いずれにしても、『ギリギリ在宅、死ぬまで抗がん剤』が、いまでも後をたちません。

さらに情けないのは、その紹介状を書いて寄こした研修医が、当院の研修を受けていたこと。
いったいなんのために当院で在宅研修を1週間もやったのか? と情けなくなります。

ということで、末期がんの平均在宅期間はわずか1カ月半なので、待っていたらダメ。
おせっかいと言われてもいいので、こちらから押しかけて行くくらいでちょうどなのだ。

20年も町医者をやっていると、自然とそんな“知恵”がついてきます。
患者さんや家族にとっても末期がんの在宅医療は、最初の一歩が意外と難しいのです。

【本日のポイント】

  • ギリギリ在宅の結果、1週間程度で旅立つケースがあとをたたない
  • 研修医の地域医療研修は1週間程度では無理で、半年くらいが必要
  • 患者や家族が迷っている時は、こちらから出かけて行くことがある

 

押しかけから始める在宅医療もある

 翌日の夕刻。私は初めて鈴木信夫さんのご自宅を訪れた。

――こんばんは! いやあ突然ごめんね。隣のマンションに私の在宅の患者さんがいて、そういえば鈴木さんどうしてはるかなと思って、つい来てしまいました。どうですか、具合は? 眠れていますか? 昨日の睡眠薬、少しは効きましたか。

 ヨリ子さんと玄関先であえて大声でそんなやりとりをした後、居間へと入る。

 鈴木さんはタオルケットに包まりながら、ソファに横たわってテレビを観ていた。パジャマ姿だった。私の顔を見ると少し驚いて、そしてわずかな笑みを浮かべた。

「おや、それはまた……すみませんね、こんな、散らかっているところにね。ヨリ子、お茶、いやそれともビールのほうがいいですか」

――お茶もビールもいらんよ。たまたま立ち寄っただけだから。それよりも、まだ熱が下がってないんとちゃう? ちょっと熱だけ測らせて。あと、血圧もついでだから。なあ鈴木さん。ものはついで。今日からこのまま、在宅医療に切り替えてみませんか。

「……そうですね。お願いしてしまいましょうかね。数日、長雨が続くと今朝の天気予報で言っていたから、当分自転車では通えないかなと思っていたところなんで」

 こうして、通りすがりの偶然を装いご自宅にお邪魔することで、鈴木信夫さんの在宅診療の日々は、自然な成り行きで始めることができた。

 押しかけ女房ならぬ、押しかけ在宅医を受け入れた鈴木さんは、気分が少し晴れやかになったようだ。居間には立派なオーディオセットがあった。私の年代にはたまらないほど懐かしいLPレコードがたくさん飾られていた。

――うわあ、この立派なオーディオセット羨ましいなあ。こういうのを一番の贅沢と呼ぶのでしょうね。

「唯一の道楽です、ね。私ね、山下達郎が大好きなんです。そうだ、先生にも何か聴いて行ってもらおうかな。おい、母さん、久しぶりに何かかけてくれないか」

 お言葉に甘えて、年代物のBOSEのスピーカーから流れる山下達郎の伸びやかな歌声に耳を傾けた。名曲『希望という名の光』の歌詞をご家族と一緒に噛み締めた。

「先生、僕はやっぱりね、こうして家で死にたいと思います。だって病院じゃ、好きな音楽もイヤホンでしか、聴けないでしょう」

――まだ早い相談やけど。よっしゃ、覚えておきますよ、今の言葉は。

 鈴木さんの家を出たときには、秋雨が地面を濡らしていた。前線はしばらく停滞するらしい。明日にはケアマネと相談して、鈴木さんのお宅でできるだけ早くケア会議を開こう。

 在宅医療は、何も町医者の私一人で行うものではない。訪問看護師さん、介護ケアマネージャーさんに参加していただき、鈴木さんを支えるべくチーム体制を作るのだ。何かがあれば、訪問看護師さんがいつでも鈴木さんの家に駆け付けられるような体制を整える。Aがんセンターと我がクリニックとの二股体制を在宅医療で支えていく。

 死を待つだけが、在宅医療ではない。がん治療をサポートする在宅医療も、ちゃんと存在するのだ。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています