《1872》 「ホスピス」と言ったら息子に殴られそうに [未分類]

一昨日は、一般社団法人ライフケアシステム代表理事の辻彼南雄先生による
ライフケアシステムに関する講演を聞き、質疑を含め2時間ほど過ごしました。

このシステムは患者さんが作ったもので、会員制で運営されています。
在宅ケアも行いますが、最大のウリは24時間対応の電話相談です。

ライフケアシステムの創始者である佐藤智先生について紹介されました。
佐藤智先生といえば、日本の家庭医学や在宅医療の分野の先駆者です。

自分たちの健康は自分たちで守る、をスローガンに、佐藤先生は
予防医療を一番に考えられて賢い患者さんになる事を指南されました。

34年の月日を経て、ライフケアシステムの会員さんは高齢化しています。
しかし長生きされるし、在宅で亡くなってもご遺体が綺麗だそうです。

そのデータを集め、町医者でありながらがん学会で発表もされたそうです。
佐藤先生は、自腹で薬を買って患者さんの家に置いて回ったそうです。

佐藤先生の哲学は、病気は家庭で治すもの。
しかし病院あっての在宅ケア、と実に分かりやすい。

様々な工夫をされて、おそらく余計な救急搬送を相当数減らしたはずです。
辻先生から、佐藤先生の逸話やライフケアにかける意気込みを聞きました。

実は佐藤先生は御健在で、何度もお会いしているのですが話をしたことはない。
辻先生の話を聞きながら、近いうちに直接お話がしたいと強く思いました。

さて、鈴木信夫さんの日記の続きです。

今日のキーワードを並べてみます。

  • 自宅は世界最高の特別室
  • オムツ
  • 食欲なし
  • 息子

です。

実は、私は息子さんに胸ぐらをつかまれた経験があります。
それは、親父さんとの会話で「ホスピス」という言葉を出したからです。

9月17日 「世界最高の特別室」

長尾先生くる。「痛みも体調も落ち着いてきたから、散歩でもして少し動くこと」と言われる。外歩いていいんですか、と聞くと、「当り前やん。家が鈴木さんの病室としたら、道路は病院の廊下なんやから、好きに歩いてくれ」と。たしか前も、自宅は世界最高の特別室だと先生行っていた。

今日はクラシック聴きたく、ヨリ子にレコード探してもらう。バッハ無伴奏チェロ曲。世界最高の特別室で。

9月24日 「オムツ…」

ショックで誰の顏も見たくない。初めて粗相をした。麻薬が効いているから起きられなかったんだわと、慌てて駆けつけてくれたケアマネ―ジャーさんが言う。ちょうど来た長尾先生も、気にすることはまったくないと言う。しかし、夜中だけオムツにしようと。優しくなぐさめられた分、情けない。ヨリ子もショックを受けている。俺はまだ還暦前。泣きたくなる。

9月25日 「食欲なし」

塞ぎこんでいる私を気遣ってか、ヨリ子が好物のビーフシチュー作る。食べられない。食べたくもない。

9月26日 「息子、怒る」

息子くる。息子もオムツになった私にショックを受けていた。モルヒネなんか打つからだ、と怒り出す。あれは死ぬ前の薬だろうと言う。私がいくら言い聞かせても、納得しない。つい早く帰れと思う。温泉卵一個。豆腐を潰したもの少し。粗相が怖くて、もう消化の悪いものは食べたくない。

9月28日 「カステラ」

今日はヨリ子の妹が、長崎から見舞いに来た。土産のカステラ、牛乳に浸して食べる。懐かしい味。夜中目が覚めた。ケアマネさんかと思ったら、ヨリ子が私のオムツを代えていた。気づかないふり。ヨリ子、ありがとう。

10月1日 「情けない息子」

最悪な事態が発生した。息子が長尾先生に喧嘩ふっかける。

「なんでモルヒネなんて打つんだ?」と息子。「在宅ホスピスは皆、打ちます」と長尾先生。息子の顏色が変わったと思いきや、帰りがけの長尾先生を追いかける。止めようと思ったが、歩けない。息子の声が2階まで聞こえてきた。「おい、さっきホスピスって言葉使ったろ! オヤジの前でホスピスなんて言葉を使って何考えてるんだ?」

息子、先生の胸ぐらをつかんだ様子。

「ホスピスとは緩和医療のことです。死刑宣告ではない」
「オヤジが傷つくだろう! 俺だって傷ついた」
「私のことが気に入らないのなら、主治医を代えてくれ」
「なんだと偉そうに!」

2階の窓から「やめろ!」と叫んだ。思いのほか自分に大きな声が出て、驚いた。「さっさと帰ってくれ!」と言ってやった。長尾先生にではなく、我が息子にだ。情けない。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています