下手な小説を転載させて頂き、ありがとうございました。
様々なご意見、反応を頂き、とても勉強になりました。
患者さんの想いと医者の想いの隔たりも感じることができました。
実体験を元にした小説ですので、失礼をお許しください。
今日から10日間、「抗がん剤・10のやめどき」のまとめを
紹介していきますので、もうしばらくよろしくお願いします。
後期高齢者にがんが見つかることが、よくあります。
たとえば黄疸という症状が出てから膵臓がんと判明。
高齢だから手術はしないけど抗がん剤治療を勧められた。
しかし迷っているという内容の相談が時々舞い込みます。
「抗がん剤をしなければ余命6月と言われました」とのこと。
「じゃあ抗がん剤をすれば、どれくらいと言われたの?」
そんな会話をしながら、いろんな可能性を探ります。
たいていは、がんの専門医のいわれることに従います。
しかしギリギリになって、治療を拒否される場合もあります。
本人が意思表示できない場合、家族が拒否されることもある。
町医者の立場からなるべく意見を言わないように心がけていますが、
ついつい余計な口出しをしてしまうこともあります。
最初からやらない、という選択もあります。
その決断だけで気分が軽くなったと言われる方も。
抗がん剤をやると考えるだけでも、大きなストレスであったようです。
抗がん剤から自由になるだけで随分元気になるものだなあ、と驚きます。
抗がん剤のやめどき その1 ―― 迷った挙句、最初からやらない
わざわざ抗がん剤の〝やめどき〟と書いておいて、〝最初からやらない〟が、その1とは、悪い冗談だと思われる方も多いだろう。今まさに抗がん剤を受ける直前の方が読まれているとしたら……大いに迷って構わない。そんな願いを込めてこの項を書く。
私は、「不戦敗」とは、「不戦勝」と紙一重なんじゃないかと思っている。
抗がん剤を勧められる場合は、大きく分けて三つある。
一つは、再発予防としての抗がん剤。もう一つは、治療(正確には延命治療)としての抗がん剤。さらに三つ目は、術前抗がん剤治療としてだ。これは、外科手術の前に、抗がん剤や放射線でできるだけがんを小さくしておき手術しやすくしておこうとする試みだ。
先にも触れたが、術前の抗がん剤治療は、特に乳がん等で顕著に効果がみられるようになった。他に、術前療法のメリットとして、手術前のダメージのない身体で受けるために、副作用の強い抗がん剤を試すことができると主張する専門医もいる。また、胃がん、大腸がんなどでも術前の抗がん剤治療で、少しでもがんを小さくして、手術で切除する範囲を少なくすることで、機能を温存したいと考える医師も出てきた。しかしこれらも、決めるのは最終的には、患者さんご本人。
抗がん剤は時代とともに進化し、確実に延命効果があるものも増えてきている。分子標的薬で、嘘のように(まだ確率的にはわずかだが)がんが消えてなくなる場合もある。だから、患者さんの命を考えるならばその時代に正しい治療を勧めることは医師の良心であると思う。たった一つ、自分が盲信するやり方だけを患者さんに勧めてくるような医師は論外である。さまざまな方法を患者さんに提示し、どんな相談にも乗り、悩む時間を共有した結果、最初からやらない=ドタキャンOK、も快諾してくれる医師がいい。
予防のために抗がん剤治療をやりましょう、と言われたら?
さて、鈴木信夫さんのケースように、「手術は成功し、(目に見える部分の)がんは取り切れたが、再発予防のために抗がん剤治療をやりましょう」と術後すぐに病院から言われたら、患者さんは本当に迷うだろう。
元来、延命治療の道具であるとされる抗がん剤を〝再発予防のため〟に使うということを理屈で理解したとしても、感覚的には、疑問符が付きまとって当然だ。手術が成功したというのなら、それでもう自由にさせてくれという気持ちはわかる。抗がん剤治療のデメリット(全身倦怠感や食欲不振などの副作用)と再発予防効果を天秤にかけることになる。家族や友人にも相談するだろう。だが、そんな難しい問いに答えられる身内はそう多くはないだろうし、何も責任を持てないからこそ、「主治医の勧めに従っておいたほうがいい」と答える人が圧倒的だろう。そこで、予め決められた期間限定で抗がん剤を飲むことになる。鈴木さんもその一人だ。ただし、ご高齢者の場合は、本人はやる気まんまんでも、逆にご家族が「もう齢なので、抗がん剤は受けさせずに様子を見たい」と申し出る方が最近は増えているように思う。
一方、医者にしてみれば、決められたことをきちんと伝えておきたい。その時代時代の医学常識があって、標準治療があって、それに従うのが医師の倫理であるからだ。極論すれば、医者自身には選択肢は無い。医学会のガイドラインに定められた診療行為をしておかないと、万一、患者さんや家族から訴えられた場合、圧倒的に不利になることを知っているからだ。
こうして患者の想いと医者の想いが食い違うことは現実によくある。残念ながら、第三者的な相談者はあまりいない。たとえセカンドオピニオンに出向いたにせよ、最終的には自己決定しかない。患者さんは、たいてい複数の家族に相談される。配偶者、子供、兄弟の意見が食い違い、家族間の調整が必要な場合がよくあるようだ。子供の意見と兄弟の意見が異なることもよくある。それでも最終決定をしなければならない。家族全員の最終調整の結果が、抗がん剤の開始当日まで揺れ動くことは時々経験する。
昨夜まで「やる」と言っていたのに、朝になれば「やらない」に変更された場合も何度も経験してきた。反対に「やらない」はずが、「やる」に変わることもたまにある。そうした"揺らぎ"に根気よく寄り添うことも、医師の仕事である。家族会議でよくよく相談した結果、「昨日までは受けるつもりでいましたが、やっぱり抗がん剤治療はやりません」と言ってくる場合もある。私は、心のなかで、「この家族、また揺れ動くんじゃないかな…」なんて思いながらも、「わかりました」と一応返答する。私は患者さん側からのドタキャンも、朝令暮改も悪くないと思う。もちろん、少しだけやって合わないので止める、という選択肢もあるのだが、潔く最初からやらないという決断も悪くないと思う。
これは、胃ろうをするかしないか、という問題ともどこか似ている。拙書『胃ろうという選択、しない選択』(セブン&アイ出版)の帯には、こう書いてある。「ハッピーな胃ろうがある。アンハッピーな胃ろうもある。そして自然に任せるという選択肢もある」。
そう、三つの選択肢を示したのだ。「胃ろう」を「抗がん剤」に置き換えてみるとわかり易いかもしれない。一旦開始して、どこかで止めるという選択肢もあれば、最初から一切やらない、という選択も決して悪くないと思う。
よくよく考え、悩んで、やらない。
ドタキャンもひとつの重要な選択肢。というわけで、抗がん剤のやめどき、その1は、「迷った挙句、最初からやらない」としておきたい。
【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】※ アピタル編集部で一部手を加えています