《1878》 セカンドラインを勧められた時 【やめどき4】 [未分類]

セカンドラインを提案されたがどうしたらいいのか?
そんな相談が、町医者にも時々持ち込まれます。

ファーストよりセカンドの方が成績が悪いことが多いので
そろそろやめどきかなあ、と思いますが直接は言いません。

できるなら、自分の意思で決めてほしいという思いがあります。
しかし本人が決めても、家族が続行を希望することがあります。

私は、抗がん剤のセカンドラインやサードラインも闘われた人を
たくさん看取ってきました。

あの闘いはいったい何だったんだろう、と思いますが口にはしません。
本人と家族が満足ならそれでいいからです。

しかし後悔している人が多いのも事実。
長々と書いているこの拙文ですが、誰かの役に立つことを願っています。

関西も梅雨です。
毎日、雨に濡れながら往診をしています。

今日も、抗がん剤治療中の患者さんが、病院から自宅に帰ってきます。
結局、抗がん剤の相談と緩和ケアが私たちの仕事になります。

抗がん剤のやめどき その4 ―― セカンドラインを勧められたとき

ファーストラインの抗がん剤治療が効かなくなった時に、セカンドラインに移行することになっている。セカンドラインというからには、サードラインもある。あるいは、フォースラインまで、その次のフィフスラインまでトライする人も、稀にはいるようだ。しかし、フォース・フィフスという言葉を使う時には、実際にはもう、相当にQOL(生活の質)は落ちているはずだ。

確実に言えることは、ファーストラインよりもセカンドラインのほうが治療成績、もっとハッキリ言えば延命効果の期待値は、低いということ。がんという病気は、しぶとい。同じ抗がん剤を続けていると、最初はある程度効いても時間の経過とともに、効きにくくなる。

がん幹細胞理論からいえば、総本山に隠れていた親分が、子分に知恵を与えていると想像する。がん細胞も学習するのだ。これは人間と、ウイルスや細菌など微生物との闘いにも似ている。あるいは、適当な喩えではないかもしれないが、人類が経験してきた“戦争”の歴史とも似ている、と私は思う。

そもそも抗がん剤治療という言葉は、西洋的発想に思える。「抗」という漢字は、相手を明確な敵と決めてそれと「闘う」ということ。がん細胞といえども、元々は自分自身、“自己”から生まれたもの。喩えが荒っぽいが、ヤクザに弟子入りした息子を、勘当するばかりか非難・攻撃するのが、西洋医学的発想だ。

一方、東洋医学的発想にたてば、元は、がんもかわいい息子。たとえヤクザに入門しても、親子の縁を切らずに「お前、少しは大人しくしていろよ」と、どこか温かい目を持ちながら上手に付き合う道を模索することになる。

先述したが、いわゆる抗がん剤という言葉は、もちろん西洋医学的発想だ。

第2世代の抗がん剤とも言える分子標的薬や、将来開発されるであろう第3世代(がん細胞内で特に増加しているたんぱく質や脂肪酸などを特異的に阻害する薬)の抗がん剤は、さらに西洋医学的発想だ。もし分子標的薬をピンポイント攻撃と形容するならば、第3世代はスーパーピンポイントとでも呼ぶべきだろう。

西洋医学的な発想には、優れた点がある。もしスーパーピンポイント攻撃が可能になれば、抗がん剤につきものの副作用、つまり巻き添えがより少なくなるはずだ。

私は「平穏死」と題する書籍を何冊も書いてきたので、医療否定論者と間違われることがよくある。しかし実際は反対で、医学、医療の力を信じている方の人間だ。科学技術の発達を無条件に賛美はせずとも、科学という、人間だけが持つ叡智に期待したい部類の人間のつもりだ。

近い将来、がんが克服されると考えるか? と問われたら、YESのほうに手を挙げる。抗がん剤は、昔は嫌いだった。しかし今も、期待していないか? と訊かれたら、とんでもない。大いに期待していると答える。すべてがそう簡単に解決するなんて思ってはいない。しかし日本国は、がん治療のビックバンにもっと挑むべきだと考えている。

年齢や生き方に合わせてセカンドラインを考える

我が国の抗がん剤の創薬については苦々しい思いで眺めている。たとえば、本来メイド・イン・ジャパンであったイリノテカンは、結果的に欧州を経由して日本に輸入されている。せっかくの国内での発見が創薬に活かされず、皮肉なことに輸入でしか活かされない現実を悲しく思う。

人類が挑みつつ破れてきたがんとの闘いだが、ある時、ふと風穴が空くのではないかとワクワクしながらがん研究を見守っている町医者でもある。山中伸弥教授のiPS細胞の発見の経緯をいま一度見直してほしい。たった4回の遺伝子操作で分化しきった細胞が初期化できるなんて、一体誰が想像しただろうか。

しかし、偶然とはいえ現実に扉は開いた! 同様に、がんの治療の扉も、偶然に恵まれた時、突然開くことがあり得ると考える。現在の抗がん剤治療は、その扉を開くために必要なステップであろう。がん研究に生涯を捧げる研究者には、常に敬意を抱いている。

私が“平穏死”を通じて伝えたいことは、あくまで“終末期”の医療の在り方だ。家族や医者が終末期と判断したら、そこから先は余計な手を加えず自然に任せたほうが、結果的に長生きして、しかも格段に苦痛が少ないことを啓発しているだけのこと。その話と、本書の抗がん剤という自然科学への期待は全く別の話であることを、ここで明確に断っておきたい。

さて長々と述べてきたが、鈴木さんはセカンドラインの提案を受け入れた。決して間違った選択とは思わない。しかし年齢や生き方によっては、セカンドラインを提案された時が、抗がん剤のやめどきである場合が多いとも思う。セカンドラインは、ファーストラインより確率が悪いからだ。特に高齢であれば、なおさらだ。

もちろん、セカンドラインはファーストより確率が悪いとはいえ、やってみないとわからない。乗るか乗らないか。悩ましい選択だろう。現実に、多くの患者さんが一番迷うのがここだ。

ただし、混合診療の解禁やTPP交渉の流れ次第では、皆保険制度の崩壊やその前に、お金がかかる抗がん剤治療そのものに何らかの制限が加わる可能性があるのではと予想している。

というわけで、抗がん剤のやめどき・その4は「セカンドラインを勧められたとき」である。


【「抗がん剤 10のやめどき」(ブックマン社)からの転載】

 アピタル編集部で一部手を加えています