《0188》 臓器不全症における尊厳死 [未分類]

在宅医療の病気は、「がん」と「非がん」に大別されます。
末期がんが、何かと注目されがちですが、
末期がんの平均在宅期間は1.5カ月に過ぎません。

ですから現実に、在宅医療を受けている患者さんは、
圧倒的に「非がん」患者さんが多いのです。

「非がん」疾患といえば、認知症や脳梗塞、そして臓器不全症など。
臓器不全症とは、生命に直接影響する特定の臓器が働かなくなる病態。
具体的には、慢性心不全、肺気腫、肝硬変、腎不全、などです。

お腹の臓器では、肝臓以外は、なくても生きていけます。
その臓器不全症の在宅における終末期ケアには、
様々な倫理的、医学的問題が内包されていると感じます。

適切な医療を施せば、かなりの延命が期待できるからです。
臓器不全症は、ギザギザを描きながら、ゆるやかな右肩下がりの経過となります。

一方、末期がんは、ほぼ一直線の右肩下がりです。
末期がんは、正直な話、どうすることもできないので、家族も医者も
理解しやすいのですが、臓器不全症は、少し異なります。
時には、入院加療で立て直しを図れば、最長不倒距離も狙えます。

もちろん長生きだけが、医療の目標ではありません。
しかし、QOLをあまり損なわずに、寿命を延長させ得る場合があるのです。

当院の近くの基幹病院で、慢性心不全「外来点滴治療」が行われています。
入院することなく、在宅で過ごし、時々病院の外来で、点滴をするだけで
延命が可能な時代が来ています。

ドーパミンなどの強心剤を外来で点滴するのです。
たったこれだけで、寿命が延びるのなら受けさせたいのが人情。
こんな治療を受けささずに、自然死させては、医者の良心が痛みます。

肝硬変終末期の場合は、少々、複雑です。
アンモニアが上昇して、意識レベルが下がり本人の意思表示ができなくなります。
アミノレバンという点滴をすれば、意識が回復することをよく経験します。
500㎖でダメな場合、もう500㎖の点滴をします。

しかし、それでも意識レベルが戻らない場合、主治医は大きな岐路に立たされます。
家族を説得して入院させて、もっと大量のアミノレバンを点滴するか、
充分に説明したうえで、ギブアップ宣言をするのか。

実際は、ケースバイケースです。
正確に言うと、主治医が回復の見込みをどう判断するかで説明が異なってきます。
まだ治療で、意識が回復すると判断すれば、そう説得する場合もあります。
もちろん、年齢や衰弱程度、肝臓がんの合併やその進行度によります。

すなわち、多少のリスクを負わせても患者さんのメリットが期待できる場合は、
そちらを強く勧めるという態度が、肝硬変の場合、あり得ます。
どちらか強く迷った場合は、ご家族とよく相談します。
この辺の判断は、経験と医師の良心に従います。

何百人もの肝性脳症を診てきました。
野戦病院での経験が今も活きています。

何度か、入院加療という道を選択し、2~3年を生き延びてきたが、
今回ばかりは家族も私も無理だと感じるから、自然な最期を迎える。
このようなケースがほとんどです。

非がん終末期の「尊厳死」は、この辺の判断が難しい。
一歩間違えば、倫理的な問題を残すことになります。

医者はやはり、患者を元気で長生きさせるのが、本来の仕事。
在宅医療の目標は、あくまで「QOLx寿命」を最大にすること。

臓器不全症は、その大命題に照らし合わせたうえで、
判断するのが「尊厳死」であると、私は考えます。