腹部エコーをすると、偶然、腎臓にのう胞が発見されることがよくあります。
たとえ何個かあっても、画像で良性であることが確実なら経過観察になります。
のう胞ではなく、充実性の腫瘍が腎臓に見つかることも時々あります。
明らかに良性であればいいのですが、腎臓がんの疑いがあれば紹介します。
先日、50代の女性にそのような悩ましい病変を見つけてしまいました。
病院に紹介すると、造影検査を含めてあらゆる検査をされました。
その結果、“腎臓がん(悪性)”だろうと診断されて手術になりました。
手術標本の病理検査でも、間違いなく“がん”とのことでした。
幸い、早期の段階でリンパ節や多臓器に転移はありませんでした。
昨日も、3カ月健診で異常なしと言われたと聞かされ、一緒に喜びました。
実は、発見者の私は“がんではないかも”と思いながら紹介状を書きました。
しかし、後に本物のがんであると分かり、紹介して良かったあ、と思いました。
もしあの時、専門病院に紹介していなければ……
そして3年後に骨転移で見つかったらならば、訴えられたかもしれません。
町医者の頭の中にはいつも、このような“がんの見落とし”があります。
新聞によく「がんを見落として何千万円の損害賠償」と書いてあります。
こうした裁判に巻き込まれると、医者人生は大きく狂うか終わります。
最悪の結果を恐れるがゆえ、どうしても過剰診療になりがちなのです。
もし、がんを放置したほうが正しいのであれば、がん見落とし裁判はありません。
むしろ「がんを手術したために訴えられた」という新聞記事になるはずです。
我々もその方が気楽ですが、とてもそのようにはいくはずはありません。
若い人で『助かる段階』と判断されるがんなら、なんとかしてあげたいもの。
がんの手術は、華岡青洲の時代にも、関寛斉の時代にも行われてきました。
早期発見は、現代でも医学の目標で、夢であり続けています。
がんの早期発見・早期治療で命が救われる人が確実にいるからです。
しかし、中にはあまり命に影響しないか、かえって悪影響を及ぼす人もいるでしょう。
問題は両者の見分け方なのですが、現在の医学ではまだまだこれからの領域です。
参考文献) 「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」(ブックマン社)