《1957》 講演中の看取り [未分類]

講演中に携帯電話が鳴ることがよくあります。
24時間対応が約束ですから、講演を中断して電話に出ます。

電話に出ないと契約違反です。
そしてその電話が「呼吸停止」を知らせる時もあります。

ご家族には、講演を終えて私が家に到着する時間を伝えます。
何時間かかろうが、到着時間を確定することでご家族は安心されます。

実は、一昨日もそんなことがあったばかり。
駆けつけた時は、呼吸停止からすでに3時間が経過していました。

恐る恐る部屋に入ると、みなさん満面の笑顔で出迎えてくれました。
それだけでかなり“ホッ”としますが、次の言葉に驚きました。

「先生、よかったです! 幸せでした!」

最愛の夫が亡くなったばかりなのに、「よかった!」とは……

最期まで一緒にいられてお世話ができて、
旅立ちに立ちあえて、経過に納得している。

そんな気持ちが「よかった!!」という言葉に現れるのでしょうか。
病院での看取りでは、「ありがとう」はありましたが「よかった」はなかった。

「お父さん、ごめんな! パチンコに連れて行く約束を果たせずに」と私。

大好きなパチンコには、本気で連れて行こうと思っていました。
前日もパチンコの話をしたら、ニヤーっと笑ってくれたのに。

「大病院から帰ってからわずか1週間」の旅立ちが続いています。
先日は3人と書きましたが、6人連続して1週間程度です。

紹介状には余命1~2カ月と書かれていますが、実際は1~2週間。
これは私たちのケアのレベルが低いからでしょうか?

家族にそう責められないか、いつもビクビクしていますが、責められることは皆無。
大病院の医者は死ぬことを想定しないので、ギリギリまで様々な「治療」をする。

でも「気枯れた人」に必要なのは、「治療」ではなく「緩和ケア」のはず。
しかしこうしたギャップは、いくら書こうが本を出そうが、一向に変わりません。

やるせない想いで、日本ホスピス在宅ケア研究会での仕事をこなしています。
この学会の内容の1割でも、大病院の医療者に伝えることができればと願います。

しかしもうすぐ、空気が変わります。
地域包括ケアの時代になると、大病院の医療者も変わらざるを得ないはず。

大病院から当院の訪問看護師に応募してくれる看護師が、徐々に増えています。
医者はなかなかですが、看護師のほうが時代の空気に敏感なように思います。

ここヨコハマでも、主役は看護師でした。
在宅看取りといっても、看取り人は、訪問看護師と家族。

だから今日のタイトルも、実は間違いです。
私は看取っていません。

私は時々患者さんに寄り添って、医師法20条という看取りの法律に従って
死亡診断書を作成する、ただそれだけの存在です。