応急処置を続けました。
トタンに載せられて運び込まれた下敷き患者さんは
元気そうに見えても、急変する方が多くいました。
ミオグロビン尿といって、赤黒いオシッコが出ました。
おそらく、急性腎不全です。
間もなく亡くなられた人もいました。
挫滅症候群。
別名クラッシュ症候群。
筋肉が破壊され、ミオグロビンや活性酸素が悪さをする病態。
本物を見たのは初めてでした。
定員の10倍を超える人が病院の中に横たわっていました。
廊下や床での処置しかできません。
カルテもなく、メモ書きだけが頼りです。
病棟の点滴類は、すぐに底をつきました。
あるものは何でも代用して使いました。
スッカラカンになった薬品戸棚は、今でも忘れません。
余震に震えながら、処置に走り回りました。
夜になった時、おにぎりを見つけました。
栄養士さんがカセットコンロでご飯を炊いたそうです。
昔の配給のように、お盆に載せられたオニギリが
その辺にいる患者さんや職員に配られていました。
ただし、1人1個だけという配給制限がありました。
美味しかったこと。
腹ペコでした。
ただのオニギリが、こんなに美味しく感じたことはない。
この配給は、その後、3~4日間ぐらい続いていました。
深夜を過ぎても、大きな余震が断続的に続きました。
恐怖や不安が、持続します。
しかも、外部のことはよく分かりません。
ラジオから聞こえて来る情報だけが頼りでした。
詰所内には、ラジオの音が響いていました。
どうも被災地の中心近くにいることは分かっていました。
でもおかしいな、誰も助けに来てくれない。
救急車は来ないし、一体どうなっているんだ。
まるで孤島に遭難したような感覚でした。
明け方、疲れ果てて仮眠を取ろうと思った時、
廊下の向こうから白い服を着た人が走って来ました。
(続く)