《0270》 芦屋・大阪ルート [未分類]

早朝、廊下の向こうから、白衣を来たひとが走って来ました。

「搬送が必要なひとはいませんか?」

すでに地震発生後、24時間近くが経過していました。

 

地獄に仏。夢かと思いました。

まさに、孤島に救助隊が初めて入ってきてくれた瞬間でした。

この白衣の医者が、「神様」に見えました。

 

何故なら、病院としての機能を失ったこの野戦病院なのに、

治療に行き詰まっている患者さんが沢山おられたからです。

搬送さえできれば助かるのに・・・

 

国道が渋滞で動かず、ほとんど搬送が出来ていませんでした。

しかし、この白衣の神様が1人の重症者を運んでくれました。

その瞬間、少し光が見えた気がしました。

 

各病棟、各廊下、各待合などから、搬送が必要な重症者を

ピックアップしていきました。

外科部長が司令塔になり、優先順位をリストアップしました。

 

当時、トリアージという言葉を知りませんでした。

しかし咄嗟の知恵で、自然にトリアージをしていました。

トリアージタッグは無いけれど、トリアージリストはありました。

 

この震災の教訓から、トリアージタッグが出来たと聞きました。

JR福知山線の事故で、これが使われた話は有名になりました。

優先順位は、医者が相談しあって、順次つけていきました。

 

市内の救急車と、大阪の病院の救急車での搬送が始まりました。

最初は、救急車が帰るのに数時間かかりましたが、翌日には

帰ってくる時間が徐々に短くなりました。

 

大阪の被害は、この地区より軽微でした。

病院機能も充分温存されているとのこと。

大阪の救急チームは、どんな患者さんでも受け入れてくれました。

 

この病院の救急チームは、最初は待っていたそうです。

しかし待てども待てども、搬送されてこないので、ある

きっかけでついにこちらから飛び込んだ、と伺いました。

 

在宅医療と同じですね。

こちらから出向く救急医、

ドクターカーです。

 

患者さんと同じように、その素晴らしさが身に染みました。

こうして、翌日から重症者がどんどん搬送できるように

なり、次々と、病院からの「脱出」に成功しました。

 

後で知りましたが、結局150人も搬送されたそうです。

マスコミからは「芦屋・大阪ルート」と呼ばれました。

確かに、沢山の方を搬送したことだけは覚えています。

 

実はこのルートは、ご自身も被災したある開業医が路上で

救急車を止めて被災者を搬送したことから始まったそうです。

彼の行動が、結果的に多くの人の命を救いました。

 

結局、搬送された150人のうち、クラッシュ症候群が20人、

残念ながら亡くなられた方が3人という結果だったそうです。

では、行政はどんな対応だったでしょうか?(続く)