震災後、数日で、搬送すべき人は、ほぼ搬送しました。
丁度その時、「搬送ヘリが飛ぶぞ」との連絡が入りました。
「搬送が必要な人は、ヘリで搬送します」とのことでした。
と言われても正直、もう搬送が必要な人はあまり居ませんでした。
しかしとにかく「軽症でもいいから、ヘリで搬送してください」
との要請でした。
自衛隊のヘリが病院の上を、大きな音をたてて飛んで来ました。
総理大臣が、自衛隊の災害派遣を決断して頂いたと聞きました。
心中、「もう少し早ければなー」と思いました。
病院の裏は警察学校でした。
そこにテントが張られ、自衛隊のお風呂が設営されました。
数日後、「夜は病院職員も入っていいぞ」との指令を頂きました。
風呂に入っていなかったので、喜んで入りに行きました。
簡易な風呂でしたが、生き返ったような気がしました。
ここではじめて「行政」に感謝しました。
今も忘れないこと。
日本沈没!だと思って、必死で頑張っていたのですが、
どこかでテレビ画面を見た時、大相撲が行われていたこと。
「なんだ、世の中、非常事態ではないのだ」
「ここだけが、オカシイのか???」
大相撲の映像を、そんな想いで唖然と眺めていました。
数日後、自宅に帰りました。
通り慣れた道路に大きな段差ができていました。
同僚が運転する車が、戦車のように感じました。
脇道に迂回しました。
暗闇の中、まだ燃えている家がありました。
まだ生きている人が埋もれているかもしれない・・・
自宅周辺は、全部停電で真っ暗闇でした。
闇を照らすのは、月の明かりだけ。
自分の家に入るのがこれほど怖いと感じたことはありません。
風呂の水がたまたま残っていて、助かりました。
トイレを流したり、顔を洗うことに使えました。
断水がどこまで続くのか分からないので、ケチっていました。
渋滞する国道で、全国から集まった機動隊の車を見ました。
全国の都道府県の名前が書かれた装甲車のような車両群。
また、涙が出ました。ここはやっぱり、日本なんだ。
自衛隊のお風呂と、この機動隊の車両が、記憶に残っています。
(続く)