《0271》 自衛隊のお風呂 [未分類]

震災後、数日で、搬送すべき人は、ほぼ搬送しました。

丁度その時、「搬送ヘリが飛ぶぞ」との連絡が入りました。

「搬送が必要な人は、ヘリで搬送します」とのことでした。

 

と言われても正直、もう搬送が必要な人はあまり居ませんでした。

しかしとにかく「軽症でもいいから、ヘリで搬送してください」

との要請でした。

 

自衛隊のヘリが病院の上を、大きな音をたてて飛んで来ました。

総理大臣が、自衛隊の災害派遣を決断して頂いたと聞きました。

心中、「もう少し早ければなー」と思いました。

 

病院の裏は警察学校でした。

そこにテントが張られ、自衛隊のお風呂が設営されました。

数日後、「夜は病院職員も入っていいぞ」との指令を頂きました。

 

風呂に入っていなかったので、喜んで入りに行きました。

簡易な風呂でしたが、生き返ったような気がしました。

ここではじめて「行政」に感謝しました。

 

今も忘れないこと。

日本沈没!だと思って、必死で頑張っていたのですが、

どこかでテレビ画面を見た時、大相撲が行われていたこと。

 

「なんだ、世の中、非常事態ではないのだ」

「ここだけが、オカシイのか???」

大相撲の映像を、そんな想いで唖然と眺めていました。

 

数日後、自宅に帰りました。

通り慣れた道路に大きな段差ができていました。

同僚が運転する車が、戦車のように感じました。

 

脇道に迂回しました。

暗闇の中、まだ燃えている家がありました。

まだ生きている人が埋もれているかもしれない・・・

 

自宅周辺は、全部停電で真っ暗闇でした。

闇を照らすのは、月の明かりだけ。

自分の家に入るのがこれほど怖いと感じたことはありません。

 

風呂の水がたまたま残っていて、助かりました。

トイレを流したり、顔を洗うことに使えました。

断水がどこまで続くのか分からないので、ケチっていました。

 

渋滞する国道で、全国から集まった機動隊の車を見ました。

全国の都道府県の名前が書かれた装甲車のような車両群。

また、涙が出ました。ここはやっぱり、日本なんだ。

 

自衛隊のお風呂と、この機動隊の車両が、記憶に残っています。

(続く)