《0307》 「平穏死」ができない現代 [未分類]

先日、ベストセラーとなった「『平穏死』のすすめ」の著者である
石飛幸三先生が、尼崎で2時間半にも及ぶ熱い講演をされました。
なぜ、平穏死ができないのか?詳しくお話しされました。

石飛先生は現役の外科医でもありますが、現在は
特別養護老人ホーム(特養)の嘱託医をされています。

まさに老人介護現場からの熱いメッセージをいただきました。
また、認知症や老衰の終末期の胃ろうについても解説されました。

現在、40万人の方が胃ろうを入れています。
毎年、新たに20万人の方が胃ろうを入れています。

病院では、老衰等で食べれなくなると簡単に「胃ろう」を入れます。
若い医師たちは、胃ろうを作製する技術を競います。
ご家族も、よく分からないまま、胃ろうを選択しています。

老衰で食べられなくなるのは当たり前。
少しの期間食べられなくても、待てば、少し食べられるようになる、
と、石飛先生は話されました。

要するに、少し待てば、生きている限り少し食べられる、とのこと。
「死」を「先延ばし」するだけの日本の死生観に警鐘を鳴らしました。

まさに我が意を得たりで、講演後に石飛先生と少し話しさせていただきました。
特養での看取りが、注目されています。
看取りに積極的な特養と、そうでない特養に分かれているように見えます。

胃ろうに代表されるいわゆる「延命処置」も、議論されるようになりました。
平穏死とは、自然死であり、尊厳死である、と私は解釈しています。
しかし、歳をとっても平穏に死ぬことが難しい現代社会です。

皆が「老衰の先にある自然な死」を直視せず、先延ばしし、病院に預ける。
病院は、訴訟リスクを恐れて、また次の施設での管理を考え、
あまりにも安易に胃ろうを入れる。

社会全体が、「自然な死」を受け入れようともしない。
その根本には「死に関する法律が現代社会に合っていない」との指摘でした。

「老衰の最期においても延命処置を怠れば罪になるのか?」。
石飛先生は、現在、刑法の勉強に入っているそうです。

「平穏死」という言葉は実にいい言葉です。
私自身にも、スーッと入ってきました。
私たち、在宅スタッフは、日々、この「平穏死」と向き合っています。