《0313》 想い届くか「フォトセラピー」 [未分類]

毎年、在宅患者さんとのお花見では、沢山の写真を撮ります。
ある写真の名人が、ボランティアで撮ってくれるのです。

一番いい写真を、引き伸ばして患者さんにプレゼントします。
患者さんは、皆さん大喜びしてくれます。
私とツーショットの写真を必ず1枚は撮ります。

その時、必ず患者さんが言う言葉があります。
「私が死んだら、この写真を葬式写真に使ってね」と。
私は、「そんなことあれへん、あれへん」と笑い飛ばします。

しかし1カ月後、本当に葬式写真として仏壇に飾られています。
そして5年経って、ふとお寄りした家の仏壇にもまだ飾ってありました。
そこには、5年前の少しだけ若い自分もいます。
みんな笑っています。

写真を撮ってプレゼントすることを「フォトセラピー」と呼ぶことを、
何年か前に知りました。
「そうか俺は、フォトセラピーをやっとんたんか……」。

しかし、最近、身寄りのない方が増えてきました。
いや、正確に言うと、身寄りがいても死んでも誰も来ない方。

孤独死とか無縁死といった言葉は、決して遠い世界ではありません。
自宅で亡くなっても、そこにいるのはケアマネ、ヘルパー、看護師だけ。
もちろん葬儀も何もない、「直葬」となります。

生活保護の場合は、行政が面倒を見てくれます。
しかし、保護でないと、ケアマネがボランティアで最後まで面倒を見ます。

遺品の中に、私と一緒に撮った写真も出てきます。
もはや、この世に引き取り手のない写真は、一緒に焼かれていきます。

せっかく「フォトセラピー」をして、「葬式写真」としてもご活用(?)
いただこうと思っても、その想いが叶わぬケースが時々出てきました。
寂しい話ですが、今後、ますます増えてくるのでしょう。

そんな最期を経験しながら、今年も花見の準備を進めています。
散り行く桜に患者さんの命、そして自分自身の命も重ねながら、
今年も桜の下で「川の流れのように」を歌えたら最高です。