《0375》 4月25日という特別な日 [未分類]

4月25日という日は、特別過ぎます。
田中好子さん(スーちゃん)の葬儀の日でした。

日本中が、あまりに突然の別れを惜しみました。
あの最後の肉声には、誰もが涙が止まらなくなりました。

みんなにお礼を述べて、生への意欲も少し残しながらも
旅立ちへの悔しさが滲んでいました……。

さらに驚いたことには、東日本大震災の犠牲者を悼む言葉、
被災者への気遣いも立派に述べられた。
自らの死と対峙しながらも、あの言葉が出る人でした。

6年前の4月25日は、尼崎でJR脱線事故が起こりました。
その日のことは、ハッキリ覚えています。
私事ですが、自分がある役職に就いたその日でもありました。

そして最後の生存者は、何と幼馴染の息子さんでした。
運転手のすぐ後ろにいて、生きて最後に救出された人です。

6年の歳月を経て、やっと事故原因の本質に近づきました。
6年前の4月25日を境に、安全管理の考え方が変わりました。

尼崎は「天(あま)が先(さき)」として世の中の先を行きます。
JRの事故は「教訓」として後世に活かさなければいけません。

さらに20年前の4月25日は、歌手・尾崎豊さんの命日です。
この日のこともハッキリ覚えています。

病院の中堅勤務医として、とても忙しく働いていました。
悲しくて、後輩医師を無理やり誘って夜中から飲みに出ました。

男2人でカラオケボックスに朝まで籠城(?)しました。
尾崎豊の歌を何度も何度も、繰り返し、叫んだ(そうです)。

その後輩は、5年前、何と抗がん剤治療の教授に出世しました。
先日、彼の招聘でその大学で2回目の講演をさせていただきました。
その慰労会で、あの夜のことを暴露され、またまた歌いました。

20年前のことですが、まだ最近のことのように感じました。
ビックリしたのは、彼の息子さんの歌声が、そっくりなこと。
歌手・尾崎裕哉の歌声は、父親とあまりにも似過ぎています。

それぞれの4月25日。
あまりにも深く、重い、この日。
桜が散った後は、思い出に浸っています。

今日からしばらく、被災地にお邪魔します。
お薬とコーヒーを持参して知人を訪ねます。
ブログが上手く送れるかどうか心配ですが、待っていてください。

PS :ちなみに、25年前の4月26日はチェルノブイリの原発事故でした。