《0379》 水を差し入れたらインド料理が [未分類]

気仙沼市本吉町の海岸近くで、1人の老人にお会いしました。
シニアカ―を乗り捨て、一生懸命に瓦礫の処理をしていました。
彼の家も畑も、防波堤を軽く乗り越えた津波で流されたのです。

過去に津波が襲った教訓を基に、少し高台に家を建てました。
しかし、今回の津波は、彼の想像をはるかに超えていました。
80年間かけて築いてきた形あるものを、一瞬で失いました。

自分で棒を持って、台車を押して、黙々と作業されています。
間一髪で逃げて助かり、現在は子供さんの家に住まれています。

少し会話を交わすうちに、堰を切ったように話し出しました。
脳梗塞のため、言葉は少し不自由です。

すると突然、目から涙が溢れ出しました。
そして「あと考えるのは、死ぬだけだ」とも呟かれました。
思わず抱きしめてしまいました。

80歳を超えた人が、どんな気持ちで瓦礫を触っているのか。
彼の涙はさらに止まらなくなり、鼻水も加わりました。

南三陸町の印象は、一言で言うと「津波とは空爆のようだ」。
「町が消滅」してしまいました。

陸前高田市とどこか似ています。
はずれの道で、小さなSOS看板を見つけました。

「水求む!避難民11人」と書かれていました。
さっそく、積み込んで来た水ワンケースをお届けしました。
一日一善を心がけているので、今日の目標達成です。

高台にある自宅は、ご家族が身を寄せ合う小さな避難所でした。
水のお返しに「昼飯を一緒に食べませんか」と誘われました。
美味しそうなおかずでしたが、我慢しました。

子供さんは、寝たきりの親の介護もなさっています。
もっとも、介護ベッドも津波で流されたのですが。

高台の家には、まだ電気も水道もありません。
暗闇の中での寝たきりの患者さんのシモの世話は大変です。
漁を失ったうえに介護者のご苦労も重なり、頭が下がりました。

小さな避難所や個人の家は、まさに陸の孤島になりがちです。
ボランティアさんらが頑張って物資を運んでくれています。
北海道からの大学生たちと話しましたが、テントで頑張っています。

昼食を摂るべく、唯一のコンビニに寄りましたがまだ閉鎖中でした。
水も電気もないので当然でしょう。
20キロ引き返すか20キロ前進するか、迷ってしまいました。

炊き出しを終えたばかりの神奈川県から来たインド料理店の店主に
「自分たちの昼食分を分けてあげるよ」と声をかけていただきました。

ボランティアなので辞退しましたが「構わない」と言ってくれます。
かなりお腹が減っていたので、好意をありがたくいただくことにしました。

峠の上で、インド料理を食べるとは思いませんでした。
お水を差し入れしたら、インド料理が返って来た……。

女川町も壊滅的でした。
他に言葉が見つかりません。
かなりの高台に立つ町立女川病院の1階まで津波が襲いました。
医師や看護師らが溺れそうになり、医療器具は破壊されました。

石巻駅近くの昨日再開した小さな旅館でこれを書いています。
町は暗く、宿の周囲で営業している飲食店は3件だけでした。
しかし旅館も食堂も、お客さんが来るとどこか嬉しそうです。

3日ぶりに小さな家庭風呂に入れました。
トイレの水も流れます。
天国です。