《0383》 三春町に三つの役場が [未分類]

昨日、福島県三春町で、東日本大震災学習会が開催されました。
僧侶の玄侑宗久さんと伊賀興一弁護士らがお話ししました。

三春町は被災自治体でもありますが、富岡町、葛尾村など
近隣自治体からの避難者も受け入れてきました。
ここでも「被災者が被災者を助けている」光景を見ました。

三春町も風評被害に泣いています。
観光産業はもちろん、農業は出荷停止で壊滅状態です。

その弱った自治体が、近隣の困った自治体を助けているのです。
三春町に、富岡町、葛尾村の役場機能が、移転する予定です。

一つの自治体に三つの役場が出来ることは世界で初めてのこと。
今後、町民の理解を得ながら、隣町を支援することになります。

全国から弁護士さんが20人も集まった理由が分かりました。
生活基盤の支援を、本気で行うため、立ち上がられたのです。
学習会終了後、三つの分科会に分かれて相談会が開催されました。

小さな町で開かれたこの会は、おそらく歴史に残ると思います。
様々なお話がありましたが、どれも大切なことばかり。

災害で生活基盤を失った方を充分に救済する法律がこの国に
まだないことを初めて知りました。
阪神大震災の教訓を今回、活かさなければならないと確信しました。

以下、私のメモから伊賀弁護士のお話をご紹介させていただきます。
少し不正確かもしれませんが、敢えて引用させていただきます。

【被災者の生活基盤を支える法律の制定を!】
自然災害と原発事故は違う。
自然災害は、誰の身に起きてもおかしくない。
被災した時、国はどのような扱いができるのだろうか。

行政と市民は権利義務関係にある。
被災においてはどうだろうか。
阪神大震災の本質は、国と被災者の関係だった。
震災当時の村山総理は「自助努力が原則である」と言った。
阪神震災の政府対応は、「棄民政策」だった。

戦後成立した災害救助法は、応急処置にすぎない。

 

阪神の時は、震災2カ月目に都市計画法が強行された。
被災者がまだ避難所にいる時に説明会が開かれた。
被災者は行けるはずはない。

生活破綻すれば生活保護がある、という国家に存在理由が認められるのか?
ロサンゼルス地震では、全壊世帯に生活基盤回復資金として300万円が
米FEMA(連邦緊急時管理局)によって、1週間以内に配られた。
理屈よりも実行が必要。
生活再建は、自助努力の基礎。
生活再建は、社会基盤を前提としている。
しかし現在の日本の法律ではそれができない。

被災者は声を上げて要求するべきではないか。
雲仙普賢岳噴火では、警戒区域が設定された。
月額15万円を6カ月間支給したという前例がある。
これは、憲法第13条「幸福追及権」に基づく。

では、今回の原発事故はどう考えるのか。
昨年出荷した生産物まで送り返されている。
誰が責任を取るのか。

答えはまだない。
被災者の生活再建を確立する法律は見当たらない。
被災者と基礎自治体が、一体となって、声を上げるべき。

受け身ではいけない。
大切なことは、声を出すこと。
被災者は生活を取り戻す権利がある。

次、この国のどこかで起こる災害の被災者に
「東日本大震災の被害者が声を上げてよかった」と喜ばれるように、声を出してほしい。

7泊8日の被災地を巡る旅を終えました。
現地での医療活動は、少ししかできていませんでした。

被災地にいても、携帯電話は鳴りやみませんでした。
その間に、在宅看取りになった方も、何人かいました。

訪問看護師さんと代理をしていただいた医師らに感謝します。
看取れなかった患者さんに「ごめんなさい」と謝りました。

被災地は、まだ水も電気もない所が沢山あります。
街も病院も消滅している所も。
まだまだ手つかずのところが沢山あります。

車の移動距離は、1000キロにもなっていました。
それぞれの場所に、それぞれの被災者がおられて、それぞれの
ボランティア、医療者が頑張っています。

残念ですが、8日間に見たものの1割もここには書けません。
書けることだけを探して、ここに書くのがやっとでした。
いったん、心の奥で整理してから、違う形で発信していきます。

西日本にいる私に今後できることは、以下の二つです。

 ①義援金や孤児支援基金に寄付をすること
 ②生活基盤を支援する法律の成立を応援すること

阪神大震災を経験した者から、東日本大震災に届けるべきものが、
ほんの少しだけ見えてきたように思います。
さあ、これから、いつもの金曜日の町医者業に出かけます。