《0387》 「ホテル望洋」で復興会議を [未分類]

4月29、30日と気仙沼のホテル望洋に泊まりました。
気仙沼湾のすぐそばにありながら奇跡的に残ったホテル。
市街地の奥の方まで津波で壊滅している中で、残った……。

1週間前に電話した時、社長さんは元気がありませんでした。
従業員を解雇し、ご家族も病気になり社長1人だけだという。
自宅も流され自分のホテルに寝泊まりされていると、寂しい声。
「電気も水もない、ただ寝るだけですよ」と言われました。
出発前日に電話すると「昨日電気が来ました」と明るい声に。

到着すると、多くの若者がロビーに集まって、働いていました。
彼らは、「ホテル望洋」を再建するために集まった学生ボランティアでした。
昔お世話になった若者がリーダになり業務を仕切っていました。
社長1人だったはずが、いつの間にか、「専務」がいました。
専務は、自分のホテルが被災したそうです。
家が流されホテルが残った社長と、家が残ってホテルが被災した専務。
旧知の2人が、協働することになったそうです。

震災直後、このホテルには、被災者が飛び込んで来たそうです。
ずぶ濡れになって駆け込んで来た人々を断ることはできません。
社長は、思い切って、ホテルを避難所として解放したのです。
1カ月が経過し避難者も減り、家がないのは自分たちだけだった。
そう苦笑いする社長の傍らには、ロビーに飾ってある絵の作者が。
「太平洋を望む=望洋」にふさわしい絵を描かれた画家がいました。

トイレも風呂も使えません。
寒くて震えながら寝ました。
他の町も全部見ましたが、これだけ海に面していて助かったホテルはここだけではないでしょうか?
第1回復興会議は、このホテル望洋で行えばどうでしょうか。
被災自治体の首長さんと、政府首脳が一緒に酒を飲み交わし、ちょっと不便な中で雑魚寝する。
洞爺湖サミットならぬ、「気仙沼サミット」はホテル望洋で!そこから本当の復興ビジョンが生まれるような気がします。
ちなみに、第2回サミットは、飯館村で行ってほしいもの。

復興は、基礎自治体の首長さんの意見を国が支援する形で。
そのためには、相当に腹を割った議論が必要だと思います。
雑魚寝の中から信頼関係が生まれるのではないでしょうか。
ボランテイアが支援する古いホテルで開かれる不便なサミット。
要人も、簡易トイレで用を足す。