《0389》 不公平を招く「公平」って [未分類]

まだ義援金が配布されていません。
何でだろう?と誰でも思います。
こんなに頑張って募金しているのに……。

義援金を公平に分配するための会議があるそうです。
公平な配分?これは、言うは易し、行うは難し。

ある避難所の方に訊いてみました。
「どうやって寝ていますか?」「毛布だけです」「最初に入った人は、上が5枚で下が5枚の計10枚。
私は3日遅れで入ったから上下3枚ずつの6枚です。
」と。
既に、避難所内に毛布の格差が出来ていました。

毛布がこれですから、枕の配布には気を遣いました。
4月末、枕で寝ている人は1人もいませんでした。
その人だけにあげると、妬まれる可能性が。

いくつ要るのか、その人に訊いてみました。
「自分と家族の分で計五つ」との答えに従い、五つ配布。
翌日訊くと、全部他の人にあげた、とのこと。
あんなに喜んでいたのに、自分より他人を優先させた……。

再びいくつ要るか訊いてみました。
また「五つ」との答えなので、その通りに配布しました。

毛布や枕ですら、こんな具合ですから、義援金の配分の難しさは、何となく想像できます。
しかし、阪神大震災の時のように、ゼロだけは避けてほしい。
遠くの友人・知人から「義援金送ったからな」と言われました。
その気持ちが嬉しかった。
しかし1円も届かなかったので、なんだか不思議な気分でした。

立谷秀清相馬市長は直ちに被災市民に3万円を配布しました。
自治体による義援金配布は、実は安否確認を兼ねていました。
これぞ首長のリーダーシップの見本です。

義援金は早く配らないと意味がありません。
お見舞いをしたい、励ましをしたい、という「志」。
日本のみならず、世界中からの「人間の善意」です。

公平を考えている時間が、不公平を生みます。
何事も「時間」が大切。
時期を逃すと、価値が大幅に下がります。

毛布の例のように、完全な公平など、この世にあり得ません。
不完全でも実行することは、公平の議論に勝る、と思います。

一刻も早く、10万円でもいいから被災者に配布してほしい。
被災者が少しでも喜ぶ顔を見たいと人々は待っています。
遠く離れた人ができることは、唯一、義援金なのです。
義援金を、配分委員会に振り込んだつもりはありません。
被災者の誰かに直接届くことを想像して振り込んでいます。