《0391》 感じて、動いて [未分類]

今なお、10万人以上の方が避難所暮らしです。
水道も電気もない場所がいくらでもあります。
自宅があっても、帰れない人々も沢山います。

しかし自分自身の周囲は、至極平常です。
非常を想いながら、平常を生きています。
東北のことは、嘘のように普通に動いてる。
他人の痛みを感じる感性は、人それぞれ。
泣いている人もいれば、笑っている人も。

昨日、母校の東京医大の新聞が届きました。
被災地での医療活動が報告されていました。

ある医師の言葉が、ふと目に留まりました。
「困った人を助けるために医師になった。
今回の活動は、その原点を教えてくれた」と。
確かに今、東北は困った人たちだらけです。
しかも、医療以前の生活に困っている人ばかりです。

生活保護者が200万人を超えたとの報道を見ました。
被災地でも生活保護申請が徐々に増えているそうです。

生活保護があるのでセイフティーネットは充分でしょうか。
何となく、そのようには思えません。

何の責任もないのに借金だけが残ってしまった人たち。
そのようなリスク管理も自己責任、と言う人がいます。
確かにそうかもしれません。
しかし、私は今回の被災者をそうは思いたくありません。
阪神大震災の時、国に見棄てられた人を見てきました。
しかし、いつの間にか、忘れ去られていきました。
そして棄てられた人は現在でももがき苦しんでいます。

生活保護以前の、思い切った救済策が必要だと感じます。
道路や港湾の復興も大切ですが、個人の生活の復興も大切。
それを可能にするのは生活保護ではないような気がします。

今週は、2年目の研修医が当院に勉強に来ていました。
まだ病院の医療しか知りません。
在宅現場を一緒に回りながら、いろんな話をしました。

医者も人間も、2通りがある。
人の痛みを感じる人間と、感じられない人間。
在宅医療は、人の痛みを感じることから始まる。
感じることができれば、どう動けばいいのか自ずと明らか。
そんな勝手な理屈を、いつにもまして説いてしまいました。

感じる能力は、どこで養われるのでしょうか?天性や適性のようなものなのでしょうか?東京医大の医師のように、医師の原点だと再認識することが大切。
それを基に「動く」ことができれば、どんなに素晴らしいか。