《0397》 ホテル望洋物語 [未分類]

気仙沼湾に面した「ホテル望洋」。
以前、「ここで復興会議を!」と書いたホテルです。
私は被災3県を巡り、このホテルが最も印象に残りました。

昨夜、社長の加藤さんと電話でお話ししました。
私にとっては、まさに「ホテル望洋物語」です。

加藤さんに、今、何がほしいか、訊いてみました。
何だと思いますか。
何と、シーツ、タオル類、歯磨きセット、でした。

加藤さんは自宅が流され、ホテル望洋住まいです。
このリストから、どんな現状か連想してください。
まさに、被災者が被災者を助けているのです。

その次の言葉も意外でした。
何と、今も「水」でした。
やっと水が通っても濁り水で使えない家も多いそうです。
「今日も在宅患者さんに水を配ってきた」とのこと。

ペットボトルの水で顔を洗った朝を思い出しました。
避難所には水があっても個人宅には回っていません。

ホテル望洋では、まだインターネットは使えません。
港湾整備や魚市場のインフラ整備が最優先で、個人レベルの工事まで人手が足りないようです。

被災したホテルの修繕を、何と仮設住宅の建設のため宿泊している大工さんがボランティアで行ってくれると。
ホテル望洋は、災害復旧関係者優先の宿です。

東京の大学のボランティアたちも手伝っています。
彼らは気仙沼のボランティアもしながら、ホテル望洋のボランティアもしています。
いろんなNPO法人やボランティアが集まってきます。

仮設住宅建設の大工さんや瓦礫処理の作業員の宿として、以前の賑わいを取り戻しつつある「ホテル望洋」。
私が宿泊した時は、まだ電気が来たばかりでした。
海中で水道管を接続する水道のハイパーレスキュー隊がウエットスーツ姿で、ウロウロしていました。

ホテルの玄関に掛かっている「太平洋を望む絵」を描かれた画家の先生は現在「気仙沼の未来図」を描いているそうです。
夢溢れるであろう、その絵を見る日が楽しみです。

気仙沼港は、有数のフカヒレの産地。
港周辺の加工会社は壊滅状態でした。
しばらくフカヒレスープは食べれないな、と感じました。

時間が出来れば、また訪れたい。
そして「ホテル望洋」で第1回復興サミットを!本気で、そう提案しています。
早くフカヒレや美味しい魚を食べたい。
加藤さんが心から笑える日が来てほしい。
気仙沼が以前にも増す活気を取り戻してほしい。