《0406》 仮設住宅に「つどい場」を [未分類]

16年前も今回も、仮設住宅で同様な光景を見ました。
みんなが表に出て、楽しそうに会話をしているのです。

彼女らの笑顔を見ていると何もなかったかのようです。
しかし、訊いてみると、身内に犠牲者が出ていました。

慌てて「大変でしたね」と声をかけるのが精一杯でした。
その悲しみを吹き飛ばすかのようにお喋りしていました。

仮設住宅に必要なものは、「つどい場」だと思いました。
フラーと座れて、お茶を飲んで、自由にお喋りできる。
そんな「場」こそ、仮設住宅のどこかに必要です。

さらに、老人ばかりの仮設住宅はどうしても暗くなります。
どこからか子供の遊び声が聞こえてくる環境が望まれます。
老人ばかりを集めるのではなく、老若男女が入り混じる。
そんな仮設であってほしい。

孤独死と自殺を防ぐのが、仮設の最大の課題です。
そのためには医療や介護以前に、「つどい場」です。

相馬型井戸端長屋にしても、尼崎型グループハウスにしても、共通しているのは、長屋の中に「つどい場」があること。
人間社会の原点なのかもしれません。

仮設では、要介護老人がいても車椅子で外出しやすいのが利点。
どんどん外出して、移動してほしいもの。
どんな病気になっても、「移動」も人間の原点。

認知症患者さんも、旅行をすると元気になります。
仮設に入っても、小旅行くらいは可能な環境であってほしい。
移動のための「交通手段」を確保するのは国の仕事でしょう。

「集う」ことは、本能。
「移動」できることは、尊厳。
いろんな人が「まじくる」のが、ポスト3・11のキーワード。