《0407》 「日本と東京と気仙沼」 [未分類]

一昨日の夜、大阪・中津の小さなライブハウスにいました。
門谷純という地元出身のシンガーソングライターのライブ。

往診や多くの雑用を終えて入ると、残り数曲の終盤でした。
彼女は以前より、大阪駅で路上ライブをよくやっています。
ギター一本抱えた透明な歌声に、つい立ち止まっていました。
お金を払ってのライブは今回、2回目。

彼女は、週末を利用して震災ボランティアをしていました。
気仙沼などの避難所をギターを抱えて、巡回していました。
復興を肌で感じて出来た曲は、何と「製造業の歌」でした。
「まだ26歳の小娘に一体何ができるのか?」とのトークに「じゃあ、その倍の52歳の俺に一体何ができるのか?」と。
まだまだ、頑張ろう!と元気をもらいました。

彼女は、武道館でのライブを夢見て努力を積み重ねています。
その中に、今回の震災ボランティアライブがありました。
彼女の歌声が多くの被災者に届くことをオヤジも夢見ました。

「日本と東京と気仙沼」。
これは、緊急発売されたばかりのCDのタイトルです。
これを大阪の駅下ライブハウスから発信していました。

気仙沼に留まって活動する、学生ボランティア君の顔。
津波に破壊された、アワビやホタテなど海の幸の加工工場。
大島という島でたった1人で巡回している看護師さんの顔。
様々な、気仙沼の人の顔が浮かんできました。

沢山の音楽家が慰労のためにボランティア公演されています。
有名人やプロもいれば、アマチュアもいます。
どちらにせよ、音楽での癒しは、被災地の方を力づけるでしょう。

最近の私の頭には、常に被災地、特に福島の人の顔があります。
何事もなかったかのような豊かな阪神間の日常に埋没しながら、これを享受していいのだろうか、というジレンマがあります。

寝ても覚めても、被災者のことばかり考えてしまいます。
被災者と実際に交わした言葉が、頭を駆け巡っています。
広い意味で、これも「サバイバーズギルト」でしょうか。
結局、日常(自分の生活)と非日常(被災地への想い)を上手く調和させながら、生活していくことしかできません。
ホント、何もできませんが、念じることはできます。

門谷純さんが「日本と東京と気仙沼」なら、私は「日本と尼崎と東北」でしょうか。
被災地以外の多くの皆様も、同じような気持ちでしょう。