《0416》 記録映画「無常素描」の試写会 [未分類]

先週、生まれて初めて映画の試写会とやらに行きました。
GWに4人で被災地を巡ったドキュメンタリー映画です。
「無常素描」。
ドキドキしながらの75分でした。

東日本大震災からちょうど49日目の4月28日。
岩手県花巻空港に降り立ちました。
3・11以来ずっと被災地のことが気になっていました。

救援物資を現地に送ることしかできないジレンマ。
大病院の医療チームの活動する映像が眼に入る。
しかし開業医は眼の前の患者さんを放って飛んで行くのは困難。
そこでGWを利用して被災地を巡ることを決めました。
あらかじめ空港に送っておいた水、薬、コーヒー、救援物資等をレンタカーに積み込み、8日間で被災地を巡りました。

遠野、大槌、釜石、陸前高田、南三陸、気仙沼、石巻、仙台、名取、三春、相馬など、東北の被災3県を転々と南下しました。
東北の地で何が起こっているのか。
急性期から慢性期に移ろうとしているこの時期を自分で視診、聴診、触診しようと試みました。

メディアでは報道されないであろう、小さな町、小さな避難所、かろうじて残った家々などを訪ね歩きました。
道端で茫然とたたずむ人々にも声をかけさせていただきました。
やり場のない感情が噴き出した方もおられました。
全国から、いや全世界から集まった医療チームやボランティアの皆様のお話にも耳を傾けました。

私は16年前、阪神大震災を経験しました。
神戸市で被災し、市立芦屋病院では不眠不休で働きました。
あれから16年経ちますが、阪神すらまだ終わっていません。

今回、まるで16年前のデジャブ。
当時、国は「復興は自力でしてください」と個人への支援を放棄しました。
現在でも二重ローンに苦しんでいる人を何人も知っています。
阪神すらまだ終わっていないのに、今回の東北。
しかし16年前の阪神の苦い経験を、今回の東北に活かしたい。

今回の計画を西宮市にあるつどい場「さくらちゃん」で話しました。
認知症介護者を支援するこの場には全国からいろんな人が訪れます。
その中に大宮浩一さんがいて「一緒に行きたい」と申し出られました。
大宮氏といえば介護を描いた映画「ただいま」で有名な監督。
結局、音声、ドライバーも加わり4人での珍道中となりました。
被災地を走り回る町医者の背後では、常にカメラが回っていました。

どうしてもこの時期にお会いしてお話をうかがいたかったのが、作家で僧侶でもある玄侑宗久さんです。
三春町に多忙な玄侑さんを訪ね、お経もあげていただきました。
三春町には富岡町、葛尾村の役場が引っ越して来ていました。
ここでも当然ながら被災者が被災者を助けていました。

相馬市では医師でもある立谷秀清市長に出会いました。
彼は震災孤児基金条例を作り、孤児の支援に精力的に取り組まれていました。

私は、子供には震災孤児の援助に、大人には生活基盤支援に正面から取り組む弁護士さんを支援することに決めました。
せめて被災者とともに震える人間、町医者でありたい。
阪神で震えて、東北でも震えたい。
阪神の経験を東北に活かしたい。
そんな想いで、大宮監督に協力させていただきました。
長い闘いは、まだ始まったばかりです。

試写会の感想は、……「秘密」です。
この映画の受け取り方は様々でしょう。

東北への長期的支援に少しでも役に立てば嬉しい。
世界が讃えたのは日本人ではありません。
我慢強い東北人でした。
その東北を支援するという熱い気持ちこそが、そのまま日本という国の復興でもあると、確信しています。
その支援を後押しする記録映画になってほしいと思います。