《0418》 「移動」という尊厳これまでのまとめ [未分類]

さて、私は、「移動」ということを考えています。
移動は、人間にとって重要なことです。

「移動」できることは、人間の尊厳だと思います。
移動についての考えを、まとめてみました。
JR無料パス提案も、その一つです。
できればボランティアにも適用してあげたい。

以下、震災3カ月目を明日に控え、まとめとして書いてみました。
長文、すみません。

被災者にとっての「移動」という尊厳―町医者視点で、阪神から東北を想う―
被災地の視診、触診、聴診
私は4月28日から8日間、岩手、宮城、福島の3県を巡り支援活動を行った。
花巻空港でバンを借り、救援物資を積み込み、男4人の行き当たりばったりの活動だった。
家族を失い、家を失い、職場を失い、仕事を失った方々の胸の奥にある「悲嘆」は想像を絶していた。
福島では、状況は現在進行形である。
復興構想会議の委員でもある作家で僧侶でもある玄侑宗久氏を訪ね復興についていくつかの示唆をいただいた。
私は16年前、阪神大震災で被災し、市立芦屋病院の勤務医として災害医療にも携わった。
くしくも昨年末に「震災が教えてくれた町医者力」(エピック)という拙書を世に出したばかり。
今回、町医者として被災地を視診、聴診、触診し、被災者視点で診断し、町医者視点で一つの治療方針を提案したい。

いわき市から、尼崎に8人の避難者が
震災から1週間後。
私の診療所の隣に、福島県いわき市から8人の被災者が避難して来られた。
自宅が流され着のみ着のままで知人を頼って尼崎までたどり着かれた。
お金もなければ足の悪い方がおられたので、簡単に移動ができない。
故郷に帰りたくても帰れない。
結局、2カ月後に故郷からタクシーを呼んで10万円を払って故郷に帰られた。
彼らとの会話の中で、「もし簡単に移動できれば、故郷と尼崎を何度でも往復したい」との声が気になった。
さっそく、自分のブログやネットメデイアなどで「被災者へ新幹線などの交通機関の無料パスを」と提案し、多くの賛同を得た。
5月20日の参議員予算委員会において質問されたが、残念ながら国土交通大臣からは快い答弁はいただけていない。

「移動」できるからこそ、そこに住み続けられる
人間にとって「移動」できることは極めて重要である。
あの夜、東京の多くの方も体験された通りだ。
家が流された被災者は、住まいもなければお金もない。
「簡単に移動できれば人口流出が起こる」と懸念する声もあるが、むしろ逆である。
東北の方の郷土愛は極めて強い。
「東北魂」とも言える強烈な郷土愛は、少なくとも私の想像を超えていた。
だからこそ「移動の確保」なのだ。
被災地を巡り、例えば週末に新幹線を使って親戚知人の所を移動できることが、ストレス軽減、気分転換になり、結果、地域に住み続けることにつながることを確信した。
飯館村の住民は、毎日、宮城県内に借りた小さな農地に出向き「通勤農業」をされていた。
福島県内の農作物は出荷できないからだ。
福島県民の農業魂の強さを垣間見た。

残ったタクシーだけが高齢者の足
行く先々の壊滅地域で、不思議な光景を見た。
タクシーで津波に流された自宅の跡を見に帰る被災者の姿である。
タクシーを待たせたまま、急いで探し物をしていた。
また、行く先々の高台に残ったお寺では必ずお葬式が行われていた。
お骨や位牌を抱えてタクシーに乗り込む喪服姿を多く見た。
陸前高田市は、ほとんどのタクシーが津波で流された。
「高田タクシー」は、先日残った5台のタクシーで営業を再開したそうだ。
往復1万円を使って、仮設住宅から、内陸部に移動した「かかりつけ医」の仮設診療所に通院する高齢者の映像をテレビで見た。
このような被災者にとって、地元のタクシーはまさに「足」そのものである。
電車もバスも自家用車も多くのタクシーも失われた壊滅地区では、タクシーという高齢者の足の確保は急務である。

空気を乗せて走るくらいなら……
九州や長野など多くの自治体が、温泉施設や保養所を被災者に解放するアピールをしてきた。
しかし笛吹けど簡単には踊らず。
岩手県から青森県への1泊2日のバスでの温泉旅行が報道されたが、思うように進まない。
この「被災者の慰安旅行」のネックになっているのは「移動法」や「移動費用」である。
しかし日本には、日本列島改造論による新幹線網が整備されている。
折しも震災翌日の3月12日には九州新幹線が開通したばかり。
何という因縁だろう。
避難所から無料タクシーに乗って新幹線の駅にさえたどり着けば、九州鹿児島までも簡単に保養旅行に行けるのである。
新幹線という田中角栄以来、国を挙げて推進してきた巨大インフラは一体誰のためのものなのか。
国会議員や元気な人のためだけのものか。
空気を乗せて走るくらいなら、被災者を乗せて走ることに反対する国民がどこにいようか。
むしろ九州や長野をはじめ全国各地では、首を長くして「癒し隊」が待っているのだ。
非常時には、災害弱者に解放して何の咎めがあるのだろうか。
こんな極めて分かりやすい被災者救済案も無視されるのが今の政治。
縦割り硬直化した行政システム、ひとの痛みを感じることを喪失した政治に絶望している。

「移動」により認知機能低下が抑えられる
蛇足になろうが、私が毎日、在宅医療で診ている末期がん患者さんや進行した認知症患者さんにとっても「移動」は極めて大切なもの。
末期がんの方も、亡くなる直前まで何らかの「移動」をしておられる。
喫茶店、家の前の公園、食卓、そしてトイレ、と移動距離は徐々に短くなってくるが、それでも必死で移動される。
移動とは、「生きている証」に感じる。
お花見会や食事会、温泉などへの小旅行によって、認知症の中核症状やその周辺症状が劇的に改善した症例が沢山ある。
ネズミの実験でも、箱に閉じ込めっぱなしのネズミと、自由に動き回れるネズミでは、認知機能の進行度が全く異なる。
「移動」の確保は、避難生活のストレスの軽減、PTSDの予防のみならず、高齢者の身体・認知機能低下の予防に他ならない。
仮設住宅における今後の課題は、孤独死と自殺の予防である。
まずは引きこもりやアルコール依存症を予防することであるのは、16年前の阪神と何ら変わっていない。

「移動」により新たに雇用が生まれる
労働者にとっての「移動」はどうであろうか。
新幹線通勤は、「雇用」の確保につながる。
都会で働き田舎に住む人、都会に住んで田舎で働く人、の両方が予想される。
借り上げ住居の選択幅も広がる。
一方、福島県では今後、避難地域での人権や生活権が問題になってくる。
お金がかからずに移動ができれば、セカンドハウスとの往復が容易となり、総被曝線量の軽減も可能となる。
「移動」の確保によって、美しい故郷との縁を保つことも可能になるのである。
長い目でみると、日本でも有数の美しい町として知られる飯館村の将来も保障される。
さらに、いわき市、二本松市、三春町、相馬市などの周辺自治体は、自らも風評被害に晒されながら、避難地域の住民の受け皿になっている。
これは極めて異常事態である。
3重苦、4重苦に喘ぐ、周辺自治体の住民にとっても、「移動」の保証は、避難者や住民に大きな安心を与えるであろう。
義援金の配分がままならない中、移動の確保は、政府による義援金の現物給付という側面もある。
被災地およびそれを支援する周辺自治体では、圧倒的にボランティアが不足している。
可能であれば、ボランティア証明書がある彼らにも無料パスを発行してはどうか。
70歳代のボランティアが西日本から車で駆けつけ車内で寝泊まりされている光景を見た。
崇高な志に目が覚めるような感銘を受けたが、医師の目からは、2次災害が心配でもある。

すべては、「人の痛みを感じること」から
すべては、為政者が「人の痛み」を感じることができるか否かにかかっている。
私は、人を助けるために医者になったつもりだ。
痛みを感じることが、町医者の条件だと思いこの提案をしている。
現在、相馬市の震災孤児基金への支援活動を呼びかけている。
相馬市ではいち早く、孤児救済基金の条例が可決された。
孤児の支援は、自治体単位できめ細かく行うべきであるという考えから、まず「相馬プロジェクト」の成功を祈る。
そして他の被災自治体に広がればいいと考えている。
6月18日には西宮で、7月9日には、尼崎で「阪神から東北を支援する集会」を開催する。
ドキュメンタリー映画を上映したり、被災地を巡った報告を行う目的は、阪神から東北への継続的支援だ。
町医者なので、義援金や支援金を呼びかけることしかできない。

16年前の棄民政策を、今回にこそ活かす
阪神大震災の時、失われた個人の生活基盤への支援は、「棄て」られた。
当時の総理は、「被災者の生活再建は自助努力が原則」と言った。
「大変な目に遭いましたね。
でも自分の力で勝手に立ち直ってね」と。

16年経っても、阪神大震災はまだ終わっていないことを私は知っている。
しかし16年前、自然災害で負った債務をいまだにコツコツと必死で返している人が多くいることは既に忘れ去られているように感じる。
だからこそ今回の災害に、阪神の経験を活かさねばならない、と強く感じる。
今回の災害で失われた個人の生活基盤に、国はどう対応するのか。
災害救助法は、いわば応急処置に過ぎない。
実は、この国にはまだそのようなシステムが存在しないのだ。
今後の自然災害のためにも、個人の生活再建のための基盤作りをしなければならない。
生き残った者が頑張ればまた笑えるようなシステム作り。
それが犠牲者への最大の供養ではないだろうか。
今回の震災を、国と個人の関係が再び問われた機会と捉えている。

今回、ローンで購入したマイホームに一晩住んだだけで、津波に流された方が実際にいる。
現在もローンの請求は届く。
彼にはあと30年間、ローン請求が来る。
家族を失い、家を失い、職場を失い、職を失った彼は、自力で立ち直れるだろうか?住む所もない、仕事もない中、彼はどうすれば生きていけるのだろうか?車のローンもあり、要介護の親も小さな子供もいる。
親から引き継いだ小さな会社を経営したとして、会社も流され、解雇した従業員には多額の未払い賃金もある。
一体、どうやって生きていくのか……。

生活基盤あっての医療・介護
そんな彼が病気になったら病院に行くだろうか。
第一、行くお金がない。
では自己破産して、生活保護になればいいのだろうか。
きっと違うだろう。
私は、彼に自立可能なところまで戻してあげるのが、国の役割だと思う。
生きていくための土台だけは作る。
具体的には国の負担で弁護士や税理士が個別相談に入り、個々の経済状況を調べある線を定めて、一生かかっても到底支払えない負債を国費で帳消しにしてあげればいい。
そう、「徳政令」です。
ある一定の条件を満たす被災者に「徳政令」を実施してあげてほしい。
何だ、生活保護と同じじゃないか、という意見もあるでしょう。
やはり全く違うと思う。
頑張って働ければ、少しでも「元の生活」に近い状況に戻れればいいのだが。

人間を診る町医者は、患者さんの生活状況、時には家庭状況や経済状況まで診ようとする習性が身についている。
今回の事象は、どう考えても、「生活基盤あっての医療・介護」としか考えられない。
町医者視点の視診、触診、問診で、「徳政令」の必要性を痛感する。
町医者とは、人の痛みを感じる仕事。
すべての診断・治療は「痛みを感じる」ことから始まる。
国のリーダーにこそ、避難所や原発から20キロ地点に被災者と一緒に一晩でも泊まり、痛みを共有すべきだ。
「復興」という言葉はその「体験」を経ずして使う資格はないのではないのか。
道路や港湾の整備などインフラ整備と並行して「個人救済」の仕組み作りが急がれる。

立谷秀清・相馬市町の籠城宣言
東北人は想像以上に我慢強かった。
世界は日本人を絶賛したのではない。
東北人を讃えたのだ。
80代後半になっても漁や畑で働いていた。
彼らに「老後」や「後期高齢者」という言葉はあるのだろうか、と思った。
原発40キロ圏内でバラバラに避難を余儀なくされている人々は実に立派だった。
そんな世界に誇る「東北魂」を絶えさせないためにも、日本中からの継続的な支援が必要だ。

水素爆発でパニックになった時、福島県相馬市には「籠城」を決めた市長さんがいた。
立谷秀清市長は、医師でもある。
「俺は何があってもこの町を出て行かないぞ!」と避難所を巡って演説。
市民は勇気づけられ留まる決心をしたという。
もし失敗したら、どんな覚悟の行動だったのか。
緊急時避難準備区域にあっても「今後も絶対に避難しないと決心した」と話す住人も大勢いた。
彼らは皆、私の想像をはるかに超える郷土愛を持っている。
原発周辺の自治体は、強いリーダーシップと移動の確保を必要としている。

全国から三春町に集まった20人の弁護士
5月5日、福島県三春町で開催された「東日本震災を考える住民集会」に全国から20人の弁護士らが集まった。
会場は400人以上で満席だった。
集会の後、被災事業者を対象とした個別相談会が開催された。
弁護士軍団のリーダーである伊賀興一弁護士は、阪神大震災の苦い想いを東北の人に味あわせたくないという強い想いを述べた。
私は彼らの活動を支援していきたい。
孤児支援は基礎自治体で、生活基盤支援は国で、と考えている。

「津波」と「原発」。
「津波処理」はアリの作業のようではあるが、復旧作業が進んでいる。
まだまだボランティアの支援が年単位で必要だ。
一方、「原発処理」は「先が見えない不安」によるストレスが増す一方だ。
岩手、宮城はもちろんだが、福島にも支援の手をゆるめてはいけない。
被爆国・日本が、皮肉にも自ら造った原発と闘う運命になった。
長い戦争は、まだ始まったばかりだ。
被災者、個人個人の生活を守るため立ち上がった20人の弁護士を応援したい。
福島県相馬市では、いち早くから弁護士による無料相談会が実施されているが、本来その費用は国が負担すべきだろう。

国際競争力を低下させない複眼的戦略を
東北の復興政策と同時に、日本の国際競争力を低下させない「複眼的戦略」が、今、政治に求められている。
大きな傷と難治性感染症をしっかり治療しながら、全身状態を安定させ長期的に体力向上を視野に入れた治療方針を練るべきであう。
だからこそ、「移動の確保」、なのだ。
「罹災証明書を有する被災者に対する、新幹線を含めたJR等鉄道やタクシーを含めた交通の無料パス」を、引き続き提案したい。

仮設住宅に限らず、被災者にとって移動の確保は、人間の「尊厳」であり、日本の国際競争力においても必ずや「礎」となると信じている。