《0452》  平地に住んでもいいのに [未分類]

新聞によると、被災地では高台の人気が急上昇。
土地の値段も上がっているそうです。
平地は怖くて、もう住めない、という人が多いそうです。

福聚寺に玄侑宗久さんを訪ねた時、真っ先に訊いたのは、これでした。
玄侑さんの答えは「住んでもいいんです」でした。
どんなに立派な堤防を作ってもどんなに頑丈な建物を建てても
自然には絶対に勝てない、と。

いつかは壊れることを前提に建てればいい。
東南アジアの国では、簡易な建物にしている。
怯えを残しながら暮らすことが大切だ、とも。

瓦礫の撤去が進み、更地が出てきました。
今後どう活用するか迷っている方もおられるでしょう。
仮設住宅を平地に建てるかどうか迷っている自治体も。

平地を活用しない手はないと思います。
「悲しい出来事」があった場所にはなかなか戻りにくいかもしれませんが……。

阪神大震災の後も、元の場所に戻れていない人が現在でも大勢います。
戻りたいけど、戻れない。
それが人間の自然な気持ちかもしれません。

しかし、玄侑さんの言葉も忘れてはいけない。
「戻ってもいいんだよ」となると、復興より復旧でもいいのではないか。

そう思えた場所も阪神では沢山ありました。
役所が考えた「復興の絵」が滑稽に思えた場所も。

安心して元の場所に戻れる仕組みを考えるべきです。
老人は、フラットな場所の方が暮らしやすいのです。
海に面した場所に住むことは決して間違っていない。

高台に建てたいのは、病院や老人ホームなど、自力で
逃げられない人が集まる施設だけです。
あとは、お役所でしょうか。

しかし、情報をクラウドに預けておけば役所を海の近くに
再建しても構わないと思います。

平野部には、避難タワーの建設は必須です。
何キロも逃げれない人はここに避難します。
20メートル以上の場所をあちこちに配置します。

こうした今後の町作りの青写真が決まらないと、病院や
診療所の場所も決まらないと思います。
町あっての医者。

「町医者」という言葉にこだわりを持っています。
医療は、町とともに歩むものです。
医療や介護が、単独に存在することは考えられません。

尼崎では、夏祭りの準備が進んでいます。
町中を、何台もの神輿が回ります。
被災地にも、夏祭りができるような町作りを望みます。

その町に住んで、祭りをして、老いて、死んでゆく……。
だから「平地に住んでいいんだよ」と、エールを送りたい。