《0469》  全医連の議題も「死生観」 [未分類]

尊厳死法制化を考える議員連盟で講演した夜、都内某所に
全医連幹部と医師免許を持つ国会議員らが集いました。

全医連とは全国医師連盟の略。
日本医師会とは別の新しい医師組織です。
私もその勉強会に参加しました。

テーマは「死生観、尊厳死」でした。
何というシンクロニシティー。
朝も夜も、終末期医療の話だったのです。

全国の勤務医の方々も、私と同じように悩んでいる。
全医連のテーマは何だろう?と思っていました。

医師の過重労働ではなく、死生観・尊厳死でした。
この点で、行き詰まっている実態が議論されました。

「尊厳死」は他の言葉に置き換えることがあります。
「リビングウイル」、延命治療を拒否する権利です。
全医連の幹部は、「死生観」と表現しました。

私は、「尊厳生」と言いますし。
石飛幸三先生は、「平穏死」と表現しました。
「自然死」という表現もあります。

すべて同じ意味です。
現代医療において無用な延命治療が多くないのか?

自然に死ぬことができなくなった現代。
死亡診断書に、「老衰」と書くことが、少なくなった現代。

私は、堂々とそう書くことがありますが、一般的には稀。
「致死性不整脈」や「肺炎」と書かれることが多いです。

福島県の子供たちの処遇に関する議論を挟む尊厳死議論。
どちらも大切な議論。
濃い1日でした。

福島では、牛や馬の「安楽死」が報道されています。
尊厳死(自然死)では、あまりにもかわいそうだと。
でも「尊厳死」と「安楽死」は、全く違うものです。

日本では、人間の尊厳死が認められていません。
尊厳死と思われる例でも、医師が逮捕されました。

まして安楽死は、単なる「殺人罪」です。
以前にも書きましたが、「オランダの尊厳死=日本の安楽死」
「オランダの安楽死=日本の殺人」です。

多くの命が奪われた災害の後での尊厳死議論はつらいです。
しかし、超高齢化社会において避けられない議論でしょう。

何の因果か、議連の会長さんは福島県の議員さんでした。
逃げれなかった、災害による死。
その後の人災とも言える、震災関連死。
一方、逃げたくても逃げれない延命社会。

死の議論をもっとオープンにすべきだと思いました。