《0484》  敗戦記念日とフクシマのDNA [未分類]

66回目の敗戦記念日をフクシマの悲劇に重ねて見ています。
東北の歴史を勉強していけば、147年前にさかのぼります。

会津若松藩主・松平容保は京都守護職として池田屋事件、
禁門の変で尊攘派を弾圧し、長州藩を憤激させました。

その後、戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟軍は官軍と戦い、
特に会津の白虎隊は、幕府軍として最後まで戦いました。

その経緯から明治新政府は東北地方を差別しました。
国家的な投資開発から東北を外し近代産業から
少し遠くに置かれてきたという歴史があります。

太平洋戦争では、仙台の陸軍第二師団はガダルカナルで
2万5千人もの戦死者を出しました。
今回の震災の犠牲者の数と重なるのは偶然でしょうか。

政治的につくられた「過疎」のなかに、今度は一転して
「原発」が、支配者の利益のため推進されてきました。
フクシマのみならず核廃棄物の捨て場所も青森県です。

そう、東北は2重に差別されてきたのです。
その上たび重なる自然災害にも耐えてきました。
忍耐強さは、そんな土壌があるからでしょうか。

私は先月、「相馬野馬追」という騎馬行事を見物しました。
相馬市と3つに分断されている南相馬市で開催されました。
原発事故の影響で、馬は例年の6分の1だったそうです。

原発事故は、1000年以上続く祭りを、分断しました。
それでも騎馬武者の気高さを肌で感じ感動しました。
また、武者たちも開催できたことを喜んでいました。

この祭りを見て、野馬追は「復興の証」だと思いました。
2重に差別され、原発の被害に会いながらも復興を目指す。
それはもう理屈ではなくフクシマのDNAだと感じました。

だからセシウムが多少あっても、福島の人たちが作った
野菜や肉などを、大人は率先して食べたいと思いました。
フクシマが愛おしくてしかたがなくなったのです。

現代を生きる我々は、フクシマを助けなければならない。
第二の敗戦記念日を作ってはいけない。
これはみんなの力、「絆」でできるはず。