《0485》  福島の「心」が被ばくした [未分類]

例年にもまして厳粛な気持ちで8.15を過ごしました。
「あやまちは繰り返しません」といいながら、66年後に、
またあやまちを繰り返してしまった現実をどう考えるのか。

福島は、焼け野原になった66年前の日本と一見似ています。
しかしよく見ると全く異質な敗戦地です。先が見えません。
希望という言葉を、どこに見出していけばいいのでしょうか。

家族が分断された福島のお盆の映像を見て胸が痛みました。
子供たちへの低線量被ばく問題には、検診と除染が必須です。
一時疎開させてでも状況の改善を待つのは、当然の措置です。

昨日お伝えしたように、南相馬市での内部被ばく検診結果は
大変喜ばしいものでした。
徐々に明るい被ばく検診結果が公表されことでしょう。

現在は、放射線ヨードの新たな被ばくはありませんから、
放射線セシウムの内部被ばくが今後の課題になります。
チェルノブイリではセシウムの健康障害は無いのですが。

除染作業が進んでいます。
高圧洗浄や、土を削る作業が行われています。
さらに効率のいい除染作業も研究されています。

必要は発明の母。
思いもつかなかった除染方法が開発される事でしょう。
たとえば最近セシウムを食べる細菌が発見されました。

楽観的、と笑われてもかまいません。
自然の摂理を応用した除染方法も開発されるはず。
私は日本ならではの「除染」の開発で世界を見返してほしい。

放射能汚染を煽り続ける、多くの専門家やメデイアがいます。
一方「あまり心配はない」という数少ない学者や私のような素人も。
どちらが正しかったかは、5~10年後には判明するでしょう。

では、なにが、どう、被ばくしたのか?
私は、福島のひとたちの「生活」であり「心」だと思います。
得体の知れないストレスが「心」を被ばくさせたと考えます。

心の除染には、正確な情報、検診データの公表が必要です。
これから行うことは主に心の除染であると私は考えています。
物理的な除染も、結局は、心の除染になるのです。

ある程度「心の除染」に一定の目処がついたときに
福島に本当の希望が見えてくるのではと思います。
それまでの「あわいの時間」も、無駄にできません。

避難区域、計画的非難区域、緊急時非難区域は理解できます。
しかしホットスポット、ミニホットスポットがどうも理解できません。
遠く離れた都市でやたらパニックを煽る報道はどうかと思います。

一番パニックにならなければいけないとしたら、
周辺都市の人では無く、原発周囲の人のはず。
というか、原発の中で働く人々の被ばくです。

片や何十キロメートル単位。
片や何メートル単位。
どちらの被ばくが心配なのかは、誰が考えても明らかです。

遠く離れた住民の健康障害を心配するメデイアは、
最も危険な原発作業員の健康をあまり論じません。
かたや市民、かたや一介の労働者だからでしょうか?

でも、どちらも同じ人間です。
生活であろうが、仕事であろうが健康障害は同等なはず。
ならば原発作業員の健康障害こそ案じなければおかしい。

ということで、「大量被ばく」したであろう原発作業員の
健康障害について明日からしばらく書かせて頂きます。
是非、みなさまと一緒に考えたいのです。