《0497》  10年後の自分 [未分類]

昨夜は、当院の「移転10周年パーテイ」でした。
丁度、10年前、現在の建物に移転したのです。
開院からは、通算16年余です。

職員と関係者約80名の宴会。
各部署対抗の隠し芸大会で盛り上がりました。
最後は、全員で盆踊りをして終わりました。

10年前、日本一狭いクリニックから夜逃げのように
移転したことを、昨日のように思い出しました。
この10年の間には、いろんなことがありました。

複数医師体制となり、医師が増えた。
看護職などの専門職も増えた。
事務長やケアマネなども増えた。

10年でこんなにも変わるのかと感慨に耽りました。
沢山の思い出が頭の中を駆け巡りました。
反対に、新たに生じた問題もあります。

職員が多くなり、管理が大変になった。
各部署間の連携が課題となった。
患者さんと職員の間に少し距離ができた。

現在、私は、選手と監督とオーナーを兼任しています。
選手として頑張っていますが、どうしても
監督、オーナーとしての仕事が増えてきます。

現在、後者の仕事量のほうが圧倒的に多くなりました。
一生懸命に選手の仕事もしていますが、悩んでいます。
一人の選手として専念できれる環境を作ることが目標。

さて、被災地の10年後は、どうなっているでしょうか。
1000年に1回の地震や
100年後を見越しての復興プランと、よく言われます。

しかし現実には10年後を見通すことも、難しい。
阪神大震災では10年後でも区画整理をやっていました。
比較的平坦な阪神ですら、区画整理でモメていました。

マンションを立て直すかどうかで長くモメたたところも。
多くの人たちの利害が絡むと、議論が紛糾しやすい。
そのストレスで倒れた方も、見てきました。

今回の津波被害では、高台移転が議論されています。
同じ場所での区画整理でも、かなり大変だったのに
全然別の場所への移転となると時間がかかるのでは。

原発周囲の町を、国が借り上げるプランも同様です。
モメている間のストレスが、心配でなりません。
せっかく助かった命を、大切に繋ぎたい。

100年先は分かりませんが、10年先を
しっかり見通せたら、どんなにいいか。

私は無我夢中で、この10年を過ごしてきましたが、
復興はできれば明確なビジョンを持って行って欲しい。

そのためにも、個人の2重ローンの問題は待ったなし。
少しずつ議論が前に進みつつあるようで、注視したい。

10年後の気仙沼を描いた絵が知人から届きました。
レインボーブリッジがかかっていて驚きました。
夢があると感じ、壁に張って眺めています。

やはり夢が無いとやる気が出ない。
しかしその夢は役所ではなく住民の描いた夢であるべき。

東北の人は、阪神の時ほど、モメないで決めて欲しい。
ストレスで倒れる人が出ないように、議論して欲しい。

かくゆう私は1年先も1カ月先も展望できず彷徨う毎日です。
今日は休日ですが、これから外来と在宅に精を出してきます。