《0503》  名も無い17人の戦士 [未分類]

西日本は、昨日から台風で大変です。
職員も、今朝は、出勤できるかどうか微妙な状況です。
職員が出勤できなければ患者さんも来れないのですが。

一方、在宅患者さんは入院患者さんと同じ。
我々は、365日24時間体制ですから、台風は大敵です。
昨夜も雨風にまみれながら遅くまで往診していました。

訪問看護師さんも大変です。
自転車やバイクでズブ濡れになっての訪問。
これらは、在宅医療者のDNAとしか言えません。

さて、福島県南相馬市の大町病院の看護師さん。
原発から25km圏にある、250床の病院です。
130人いた看護師さんも3月中旬には、避難しました。

病院に残った看護師さんは、たった17人でした。
必死で県外などに患者さんを搬送しながら残った
患者さんたちを懸命に看病したのが17人だった。

16年前の、阪神大震災の時も同じでした。
出勤して出ずっぱりの看護師さんと避難された看護師さん。
自宅が全壊して自分の足を骨折しても不眠不休で働いた。

そんな看護師さんが本当にいたのです。
今回の原発事故でも、やはり同じような看護師がいた。
私は名も無い「戦士」たちに最大限の称賛を贈りたい。

大町病院に残った17人の看護師さんらは
本当に、最後まで残る気で頑張りました。
そこに患者さんがいる限り絶対に逃げない、と。

立谷秀清・相馬市長さんの「ろう城宣言」を思い出します。
逃げるひともいれば、最後まで残る決心をしたひともいた。
高い職業意識がそうさせたのです。

現在、大町病院には34人の看護師さんが働いています。
婦長さんが避難している看護師さんに復職を呼びかけた
結果、17人が34人に増え、2倍になったそうです。

子供さんを持つ看護師さんの心境は複雑です。
子供が通う学校が無いからです。
看護師を取るのか、母親を取るのかという選択。

究極の選択を迫られた看護師さんは辛かったでしょう。
避難した人は「逃げた」という一種の罪悪感を背負った。
戻りたくても戻れない、という気持ちにさせてしまった。

それでも医療現場は、看護師さんあってこそです。
研修医が教授や院長に出世しても、看護師さんには
頭が上がらないのは、昔も今も変わりません。

手前味噌で恐縮ですが、当院の看護師さんも患者さんの
ために日夜、身を粉にしてよく働いてくれます。
ナイチンゲール精神は、極限状況ほど出てきます。

大町病院が頑張る限り、南相馬市は生き返るでしょう。
福島県の人口が少し減ったと、発表されました。
仕方がありません。

戻りたくても戻れない事情が、いまは当然あります。
昨日、東京で「がんばろう福島」という会がありました。
福島の怒りと願いが表明されました。

私もそこに行きたかった。
福島県のみなさん、そろそろ怒ってください。
私も力不足ですが、一緒に怒らせて頂きます。

野田総理は「復旧・復興にまず努力する」と言いました。
その言葉どうりに、泥んこになって取り組んで欲しい。
どじょうで全然いい。それでいい、ノダ。