《0508》  過去にもあった「山津波」 [未分類]

もう「被災地」という言葉を使えなくなりました。
東日本大震災6カ月目を目前に和歌山県、奈良県と
いう、もうひとつの「被災地」ができてしまいました。

奈良県十津川村で一体何がおきたのか?
30mの高台が、まさかの水没の被害に。
映像を見ると、3.11と同じように見える。

それもそのはず。
「山津波」が起こった。
海津波のあとは、山津波。

報道を見る限り、甚大な被害です。
想像を遥かに絶することが現実に起こった。
自然は常に想定外のことをしでかします。

熊野三山や那智の滝などの世界遺産にも
被害が広がっています。
孤立した村のライフラインは閉ざされたまま。

新政府に早くも危機管理の課題が突き付けられた。
まるで、テストされているような感じ。
ここでも失敗したら、もう後は無い。

しかし歴史をひもとけば、十津川村は
明治時代にも甚大な被害にあったそうです。
1889年8月の豪雨で168人が死亡されている。

歴史は繰り返す。
災害も繰り返す。
だから後世への伝言は、大切なこと。

「迷ったら逃げろ!」とあれ以来言われています。
しかし逃げる場所が無かったようです。
寝たきり老人を背負っての避難が今後の課題です。

台風で来院されなかった患者さんが一気に
来られて、今週の当院の外来は大混乱です。
気圧の変化のせいかめまい患者さんが多い。

転倒するひとが、毎日続きます。
めまいや肺炎での往診依頼も多い。
低気圧は目に見えない被害者も作って去りました。

考えてみれば、日本は島国の山国。
平地は僅かです。
海岸に近い平野か、山間の盆地しかない。

海津波も山津波とは無縁の地域は少ない。
どこに住んでもそれなりのリスクを背負っています。
あらためてそのように感じました。

「防災とは逃げること」と、書いてきましたが、
逃げる場所が無いところも結構あるでしょう。
普段から頭の中でイメージしておくことです。

ある医療系勉強会で「被災地医療」が議論されました。
多かったのは「医療者は被災地では無力」という意見。
私もそう感じます。

今回の被災地は、西日本が中心。
今度は西日本の支援を行う番になりました。
といっても何をすればいいのか分からない。

生活基盤あっての医療・介護。
だから、まず生活基盤が優先。
また日本に新たな課題を与えた「山津波」でした。

PS)
今週は2年目の研修医が勉強に来ています。
当院の外来や在宅医療を一緒に回っています。
病院のお医者さんから見たら「未知の世界」。

昨日も在宅患者さんの「ケア会議」に一緒に参加。
訪問看護師さんと一緒に、入浴介助もしました。
きっと、忘れられない体験になることでしょう。