《0509》  「悲嘆」の行方 [未分類]

愛する家族を弔う事すら出来なければ、
思い出の写真を取り出すことも出来ない。
避難区域の人の悲嘆はどこに繋がるのか。

テレビ映像を見ながら現在進行形の「悲嘆」
の行方を想像していました。
同様に、相馬野馬追の裏にある「悲嘆」にも。

「悲嘆ケア」という言葉を使わなくても
悲嘆に寄り添っているひとが沢山います。
臨床心理士さん以外の市井のひとたちです。

被災者を励ます40種もの旗を掲げる絵本作家。
夢あふれる未来の復興図を描き続ける画家。
引き取り手の無いペットの世話をする人たち。

水産加工場の缶詰めを洗う少年院のボランテイア。
週末を利用して都心から福島に赴くボランテイア医師。
都心から石巻に移り開業、在宅医療を手掛ける医師。

原発から目をそらさない教育に苦心する教師たち。
子供たちに自由に絵を描いてもらい癒す平和学者。
傾聴し、時に説教もするボランテイアのお坊さん。

全国各地の避難者を、物心両面から支援する人々。
音楽で疲れた心を癒そうと、巡回演奏する音楽家。
何度も何度も同じ避難所を訪れ、傾聴する看護師。

数え切れない人たちが、「悲嘆」に寄り添っています。
寄り添ったから解決するという訳ではありませんが、
寄り添う活動をされている方々に、敬意を表したい。

日本は凄い国だと思います。
ピンチになっても助け合える。
いや、ピンチになればなるほど、でしょうか?

無論、ボランテイアに頼ってばかりではいけません。
「国家という自賠責保険」を早く機能させて欲しい。
今、欲しいのは、実行とスピード。

なでしこ達の活躍は、はやり嬉しい。
素晴らしい結果が伴っています。
魂が乗り移っていると感じるのは私だけ?

もうすぐ、6カ月。
しかし、まだまだ先は見えません。
高台移転か否かが決まらないと、全てが決まらない。

阪神の経験では、5年後でもまだもめていた。
今回は、その何倍もかかるでしょうか。
阪神の教訓を少しでも活かして欲しい。

以前、「平地に住んでもいい」と書きました。
どこにいてもどこか怯えながら住む位で丁度いい。
これは玄侑宗久さんのお言葉です。

まだ、何も見えてこない。
しかし、被災地で頑張っているひとが沢山いる。
そして外部から寄り添い続けるひとも沢山いる。

私は何の役にも立っていない。
ただ書いているだけ。
いくら書いても罪滅ぼしにもならないが。

「悲嘆」の行方は、どこに向かうのか?
永遠に知ることは出来ないでしょう。
ただただ、想い続けることしかできません。