《0512》  福島の子供たちを守るために [未分類]

9.11を、複雑な想いで過ごしました。
朝からテレビ報道や新聞記事を見ていたら泣けてきました。
津波の無常さ、原発の理不尽さに、怒りがこみ上げてきた。

お茶の水駅前では、反原発の人たちが演説していました。
また経産省の周囲では抗議のひとの輪が出来ていました。
「頑張ってください!」と、応援の声をかけてきました。

Lionordoggieさん、書き込みありがとう。
>核災害を経験した広島・長崎に福島が加わったと云う
>日本のグラウンド・ゼロの年、だと私自信も思います。

週末は知り合いのお医者さん達と飲みました。
避難区域周辺の子供たちの将来をどう考えるか?
「ただちに健康に影響はない」のでしょうが・・・

それ以上は、誰にも分かりません。
低線量被ばく、特に子供や若者への内部被ばくの
影響については、まさにブラックボックスです。

医療者の立場として、どう考えればいいのか。
やはり確率をできるだけ減らすにこしたことは無い。
だから、避難できる子供や若者は、避難してほしい。

少なくとも、すでに自主避難しているひとたちに
対して国は全面的に支援すべきでしょう。
そして今からでも避難したいひとを支援すべきでは。

医療の基本は安全。
安全の観点からは、子供と若者は避難すべき。
ちなみに避難を疎開と同じ意味で使っています。

どんな犠牲を払っても子供と若者を守らなくては。
将来に遺恨を残す可能性があるので守るべきです。
ですから、そのような考えになります。

ただし、私のような50歳以上は話は別です。
通常は、子供だけの避難は通常、難しいでしょう。
やはり家族単位での避難は止むを得ないでしょう。

大臣の変な言動、辞任騒動には呆れて言葉がありません。
本当は福島の子供たちの将来を真剣に考えて欲しかった。
除染だけでは除ききれない「リスク」が残るのです。

街は復興してほしい。いや、必ず復興する。
相馬野馬追は、それを確信させました。
ただし、警戒区域周辺の子供と若者は話は別だと思います。

十分なインフォームド・コンセントがなされていません。
誰も分かっていない「リスク」をどう考えればいいのか、
分かり易く説明して、大胆な政策をとって欲しいもの。

不安を抱えながらの生活より、安心生活の方が絶対にいい。
一時、故郷を離れても自由に「移動」できれば問題は減る。
それが私が何度も書いてきた「移動という尊厳」なのです。

今日から震災のことから離れようと思いました。
しかしまた、震災のことを書いてしまいました。
日々の日記として書いていますので、ご了承下さい。

PS)
一昨日は、認知症の権威の講演を拝聴しました。
長谷川式テストで有名な、長谷川和夫先生です。
いくつか興味深いことを聞きました。

認知症の方は、左脳(思考や認知能)が冒されますが、
右脳(感情や直感)機能は、相対的に高まっている。
だから、医療者や介護者の「話し方」がとても大切と。

何を話すかではなく、どのように話すのかが重要だと。
だから、「声の調子が最も大切」だとも言われました。
さらに、話すより「聴くこと」の方がもっと大切だと。

さらに、さらに、医療者より介護者や市民の方が
そのようなことをよく知っている、とも言われました。
さすが認知症医療の達人は市民をよく知っておられた。