《0530》  混合診療裁判・原告の主張 [未分類]

保険の効く抗がん剤と、保険が効かない抗がん剤。
もし可能なら両者を組み合わせて治療して欲しい。
そのような要望は、誰もが望む自然なものです。

しかし現実には、これは混合診療にあたります。
従って入院患者さんなら入院費全額が自費になります。
これは到底納得の行かない規則だと誰でも思うでしょう。

今日は、この問題に正面から疑問をぶつけている方を
ご紹介いたします。
清郷伸人さんという方。私の知人です。

彼は腎臓がんに対して
保険の効くインターフェロン治療と
保険の効かないLAK療法を併用しました。

しかし、これが混合診療とみなされました。
インターフェロン治療を含む全治療が保険適応から
外されてしまったのです。

おかしい!と思った彼は、訴訟を起こしました。
現在も上告中で、議論の舞台は法廷です。

MRICというネットメデイアに掲載された
清郷さんの文章をじっくり読んでください。
問題の本質が、少しは見えてくるでしょう。

私の幼稚な文章より清郷さんの文章の方が
本質をついています。
清郷さんの主張に耳を傾けて考えて下さい。

混合診療問題は実に奥が深いのです。

国民皆保険は誰のためか―平等という幻想
混合診療裁判原告がん患者 
清郷 伸人
2011年3月27日 MRICby医療ガバナンス学会 発行 


1. 国民皆保険の現実

私は、2006年3月、東京地裁に一つの訴訟を起こした。摘出した腎臓がんが骨に転移したため受けていた保険外のLAK療法と保険治療のインターフェロンを併用して受ける権利の確認を求めるためである。2007年11月の判決で勝訴したが、2009年9月判決の控訴審では敗れ、現在上告中である。

私は自分の選んだ治療が受けられなくなった原因である混合診療を禁じている医療制度を知り、その正当性に疑問を抱き、文献やインターネット等を調べ、医療者や患者会など関係者の話を聞いた。その結果、かなりの人が混合診療は禁じるべきと主張しており、それら反対論に通底するのは混合診療がいつでもだれでも安く医療を受けられる国民皆保険を壊すというものであることがわかった。そして誰もが世界に冠たる日本独自の医療制度として国民皆保険を神聖視していたのである。さらにこの誇るべき日本の医療制度の対極にある否定的存在として、15%の無保険者が見捨てられ、庶民が高額な医療費に悩む米国の医療制度を挙げていた。

それらの話を聞いて私も国民皆保険は最良の制度であり、その維持が大前提だと何の疑問もなく思ったものである。ただ混合診療がそれを壊すという議論は短絡的で、制度設計や運用次第で両立は可能だと思っただけである。その後、マッキンゼー社のカンツラ氏のリポートによって、高齢化と医療の高度化などにより医療費の膨張は不可避的であり、保険料や患者の自己負担、税金といった既存財源では対応できないレベルに達することやその解決策の第一歩は医療の効果と報酬の透明化にあり、そこから医療のインセンティブやコントロールが可能であること、さらに医療制度の破綻を防ぎ、問題を解決するためには保険適応範囲の見直しや任意支払いという新たな財源導入が不可欠であることを知ることになって、国民皆保険を既得権とする議論に疑問を抱くようになった。

そのようなときに私は、医療法人KNI理事長北原茂実氏のインタビュー記事を読んだ(オンライン医療メディアのエムスリー(m3)3月9日号に掲載されたものである)。

そこで北原氏は次のように指摘している。国民皆保険はGHQが戦後日本の医療を先進国に近づけるために導入した発展途上国型の実験的システムで、人口構成がピラミッド型で、経済成長し、病人が少ないことが前提条件である。だから終戦時すでに先進国だった欧米諸国はこのモデルは眼中になかった。経済成長も鈍り、少子高齢化が最先端で進む今の日本には、国民皆保険は害をなすシステムである上に保険ともいえなくなっている。

2. 国民皆保険の本質的問題点

北原氏はさらに次のように指摘する。国民皆保険は裕福な人が得をするシステムである。診療報酬が単価で決められているから、どんなに裕福でも一定額を払えば医療を受けられる。米国のように高額な保険料や(医療費の)請求を恐れることはない。一方、本当に貧しく、保険料を払えない人は保険資格を取り消される。東大阪市のある病院では患者の26%が国民健康保険料を払えず、資格を取り上げられていた。こうした人たちが医療を受けようとすると自費で払わなければいけない。本当に貧しい人たちは、今、保険から追い出されている。セーフティネットに全然なっていない。(国民皆保険は)裕福な人を保護するシステムにしかなっていない。(裕福な人には一般的な中間層も含めてよいと思う:清郷)

北原氏の指摘するように、国民皆保険では所得によって保険料に差がつけられているものの医療費はまったく平等である。裕福な人がどんなに高額な医療を受けても自己負担は一定額の3割で済む。貧しい人は世界的にも高率な3割自己負担に耐え切れず高額な医療は受けられない。こうして高度で高額な医療は裕福な人たちが存分に享受し、苦しい保険財政はさらに悪化する。貧しい人たちは保険料を払っていても低額な医療しか選べず、払えない人はそれさえ全額自己負担になる。

北原氏は別の問題点も指摘する。「お金をかければ自分たちが困った時に何とかしてもらえる」のが保険だが、若い人はあまり病気にならないから、保険料は高齢者の医療に使われてしまう。自分たちが病気になる頃には財源がなくなる。つまり自分が使えないのに保険料を払っており、基本的に保険としてのメカニズムが壊れている。

これは日本の年金システムにもいえる負担の賦課方式というもので、現役世代が高齢世代の給付の負担をするという考え方である。人口のピラミッド型構成では何の問題もなかった、むしろ最適だったものである。しかし大きく変わった現実をリアルに考えれば、このシステムの崩壊は不可避である。秋田大学の島澤諭准教授は3月14日の日経新聞「経済教室」で、日本は世代会計で見ると世代格差は世界最悪で、若い世代はもちろんこれから生まれる将来世代も生涯純負担額は破壊的で、その生活は実質的に破綻することになると述べている。(しかも生涯純負担額には次世代に先送りされる膨大な政府債務は含まれない)すなわち保険の宿命である賦課方式はもはや持続不可能なのである。

北原氏は医療は基本的に税で見るべきと主張する。健康保険も形式的には目的税だから、医療財源に保険料と公費(税)がある今の二重構造をやめて、税に一本化すべきという。保険でもなくセーフティネットにもなっていない国民皆保険はやめて税金で保障するのが、真のセーフティネットだという。

民間の営利を目的とした保険と異なって、病者や弱者も排除しない相互扶助の思想のもと全国民で支えあう方式でスタートした国民皆保険だが、所得格差や世代格差という現実の前で、国民平等の負担と受益という理想が幻になろうとしている。この変えられない現実を直視し、国民皆保険から落ちこぼれる貧者や世代を掬い上げることを真剣に考えなければならない。米国の悪口をいって済ましている場合ではないのである。

(2011/03/18)