《0539》 侮れない胃ろう交換 [未分類]

胃瘻を長く入れていると、交換が必要になります。
胃瘻には、2種類あります。
バンパー型とバルーン型。

少し専門的な話で恐縮ですが、最初はバンパー型を入れて、
交換時に、バルーン型に変えることが多い。
「交換」と簡単に書きましたが、実際は気を使います。

胃瘻は、皮膚、腹壁、胃壁を貫通して胃内に留置します。
3者は、普段は独立したものですが、胃瘻を入れると
管が貫通する一種の「トンネル」が形成されます。

胃瘻を造設して1カ月もすれば、トンネルが完成します。
3者は互いにくっついて、自然なトンネルを形成します。
しかし、3者の接着は、最初から強固とは限りません。

太っている人は、脂肪がトンネルを補強してくれます。
しかし痩せている人は、補強する脂肪が少ない。
強固さは、人それぞれ。

交換とは、現行の胃瘻を抜いて、新しい胃瘻を入れる作業。
素早く行えば、新しい胃瘻は形成されたトンネルをくぐる。
交換された胃瘻の先端は、当然、胃の中にあるはずです。

当然あるはずですが、0.01%でも、そうでなかったら。
もし皮膚、腹壁までは良くても、腹壁と胃壁が離れていたら。
チューブの先端が胃の中ではなく、胃の外(腹腔内)にあれば。

その状態で、普段のように栄養剤を注入したらどうなるのか?
患者さんは、腹膜炎を起こして必ず亡くなります。
胃瘻交換時のミスは、まさしく致命的なのです。

胃瘻の先端が腹腔内にあるととを確認する方法があります。
予め胃内に青い色素水を入れておき、後で吸えるかで確認する。
胃瘻の穴から、極細の内視鏡を入れて、胃内を確認する方法。

最も確実な方法は通常内視鏡で先端が胃内にあることを確認。
しかしこれには、在宅患者さんの医療機関の移動が必要です。
内視鏡一式を運ぶより患者さんを運んだほうが早いからです。

正確には、これにも、保険診療上の制約が多少あります。
言いたいことは、胃瘻の交換には、落とし穴があること。
胃瘻を入れてからの管理にも、専門性が要求されること。

胃瘻、胃瘻と簡単にいいますが、
専門家ほど、その怖さを知っています。
造設時や交換時にトラブルが生じれば、致命的です。

普段の胃瘻管理には、患者さん、介護者のみならず、
医療者も細心の注意を払っています。
何気ない行為の中に、いろんな技術が詰まっています。

この8回、思いつくまま胃瘻の課題を書いてきました。
今日は、医療者側から見た胃瘻交換の現実を書きました。
胃瘻には良いことも多いですが、課題も一杯あります。

胃瘻の現実を知って頂き、胃瘻問題から
終末期議論を国民的議論に発展させてほしい。
社会保障・税一体改革には、終末期議論も必須です。

話は、ガラッと変わります。
昨日尼崎で、日本の医療にとって重要なシンポジウムがありました。
福島県大野病院事件で不当逮捕された加藤克彦医師が来尼された。

大野病院事件を、きかっけに日本の産科医療は、変わりました。
訴訟や逮捕リスクのある産科を選ぶ医師が激減しました。
しかし妊婦の「たらい回し」が、各地でよく報道されています。

これは、「たらい回し」でもなんでもありません。
産科のお医者さんが、本当にいないのです。
極端な人出不足で、対応したくても出来ないのです。

不眠不休で働いた当直明けの体のまま、翌日も勤務しています。
家に帰りたくても、交代要員がいないので、仕方無くしている。
労働基準法は、残念ながら守られていない職場が多い。

少なくとも「たらい回し」ではなく「受け入れ不能」なのです。
しかしマスコミや患者さんにはなかなか理解してもらえません。
マスコミが産科医者を叩くほど、一番困るのは患者さんです。

これが医療崩壊の現実です。
大野病院事件を契機に、医療崩壊が加速した。
しかし医療バッシングは、峠をこえつつある。

そんな象徴的事件の検証が、我が尼崎の町で開かれました。
加藤医師は結局、無罪判決。現在も元気に診療されています。
尼崎に福島の加藤医師が来られたことにご縁を感じた。

加藤医師は、福島県相馬市出身。
尼崎の医師が、相馬市に行き、
相馬市の医師が、尼崎に来られた。

3.11後の、不思議なご縁。
シンポジム終了後、また西宮某所で相馬市の話をしました。
明日の学会(日本死の臨床研究会)でも相馬の話をします。

本ブログでは、明日からしばらく「平穏死」について書きます。
私は日本尊厳死協会の常任理事、関西支部長を拝命しました。
10月26日(水)に関西支部大会で神戸の地で講演します。

演題は、「平穏死の条件」。
石飛幸三先生が書かれた「平穏死のすすめ」はベストセラーです。
石飛先生は平穏死が出来ない終末期医療の現状を世に問いました。

私は明日から、「どうしたら平穏死ができるのか」
について、現実的なことを書いていきたいと思います。
「死」は、私のライフワークです。

《P.S.》

往診の合間にテレビを見ていたら、
世界的デザイナーであるコシノ3姉妹のお母上の人生が
紹介されていました。
凄いお母様ですね。

忙しくて忙しくて、座ってご飯を食べたことが無かった。
いつも立って食べていたのです。

「お元気ですか?」
「元気に決まってるやないの!」

もうひとつ、印象に残った言葉。
「忙しくて、死ぬ暇もあれへんわ!!」

平穏死とかどうかというより、死を超越されていた。
生きるだけ生きて、88歳で亡くなられました。