《0542》 平穏死の条件(その3)/病院死と在宅死 [未分類]

多くの病院死を経験してから私は開業医になりました。
徐々に在宅死を経験し、両者の数が近づいてきました。
今日は、病院死と在宅死という観点から考えてみます。

病院勤務医時代に思い出すのは、患者さんの苦悶の顔です。
輸血をしたり、管を入れたり、ポンプをつけたりしました。
それが医者の仕事だと思っていました。

つまり、私が犯人だった。

現在、輸血をしたり、管を入れたり、ポンプをつけることは
よほど特殊な事情が無い限り、無くなりました。
在宅でできないことはないのですが、正確には、したくない。

自分の好みで人さまの最期を決めているのかもしれません。
しかし、余計なことをしないと、最期は苦しまないことを
私は知ってしまったのです。

経験を重ねるたびに、その直感が確信に変わりました。
これは理屈ではなく、経験だけの話です。
データも取っていなければ、論文も書いていません。

昔で思い出すのは、患者も苦しいが私も苦しかったこと。
しかし在宅医の現在は、全く異なります。
本当に穏やかな死ばかりが続いています。

病院死が全て苦しそうだった訳ではありません。
平穏死であったかなかったか測る尺度を知りません。
本人に聞きたくても、亡くなった後には聞けません。

大半の家族は、在宅での死、平穏死に満足しています。
平穏死が難しければ、満足死と言ってもいいでしょう。
本人も家族も満足する死というものは本当にあります。

病院の中でも、たまにですが、平穏死を見かけました。
老人病院に当直のバイトに行った時などに経験しました。
朝起きたら死んでいたパターン。

正確には午前6時の看護師の診回り時に、亡くなっていた。
午前3時の診回り時には、間違いなく平穏だったのだから、
本当に平穏死なのです。

綺麗だと思いました。
何も管が無いからでしょう。
元旦の朝にこれを経験した時は、清々しい気分になった。

不謹慎かもしれません。いや、不謹慎でしょう。
しかし、本当にその時、そう感じたのです。
まさに、完全無欠な老衰死だったのです。

そのようなことは大学病院では、あり得ません。
だいいち老衰死しそうな人は入院していません。
そもそも同じ死なのになぜこれだけ違うのか?

在宅死に平穏死が多く、
病院死に平穏死は少ない。
これも、個人的な感覚です。

昨日、「死の臨床研究会」の帰り道。
ある有名ホスピス医に聞いてみました。
「施設ホスピスの何割位が、平穏死なのでしょうか?」

すると有名ホスピス医は、「全部です」と即答されました。
私は、ほんまかいな?と思いました。
もう少し、答えに悩んで欲しかった。

私は、施設ホスピスでも100%ではないと思います。
平穏死の定義なんてありませんから感覚的な話ですが。
私的には、半分ぐらいだと想像しています。

平穏死の割合は、普通の病院だと、2割くらいかな。
大学病院だと限りなくゼロに近い(昔はそうだった)。
在宅では、ほぼ全てが平穏死だったと推測します。

これは、あくまで個人的な見解です。
同じ死を見ても、ある人は「平穏死」と感じるものでも
ある人は「見殺し」と感じるのが、平穏死の難しさです。

老人ホームはどうでしょうか?
またグループホームはどうでしょうか?
私の知る範囲では、施設ではなかなか死なせてくれません。

肺炎を起こしたりして死にそうになると、入院させます。
絶対に施設内で死なれたら困るという施設すらあります。
最近は看取りに力を入れる施設も出てきましたがまだ少数派。

結局、病院で亡くなりますから、老人ホームに入ると
平穏死の確率は、グンと減るのではないでしょうか。
無論、施設のトップのお考えで、看取りは様々ですが。

平穏死の条件の3つめは、最期が近づいてきたら、
平穏死できない病院に安易に入院しないことです。
平穏死させてくれる病院か在宅医を選ぶことです。