《0544》 平穏死の条件(その5)/年金目当ての延命希望 [未分類]

年金は生きていないともらえません。
年金額が多い場合、1日でも長く生きることを希望する
家族が結構おられます。

植物状態になろうが、すべての延命治療を希望されます。
もちろん、本人への愛情もあるのでしょう。
しかしどう見ても年金目当ての方も少なからずおられる。

年金の管理は、もちろんご家族がしています。
そこに本人の意思はありません。
本人のものは、家族のもの。

1人の年金に、周囲の何人もの方の「生活」が
かかっている場合もあります。
年金が無くなると、何人かが「失業」します。

私は勝手に、「年金産業」と呼んでいます。
介護が仕事になっています。
生きることは、介護すること。

本人は胃瘻や鼻の管を嫌がっている、ように見えます。
しかし、もはや本人の意思は確認できません。
家族や周囲にいる方の意思が全てです。

肺炎を起こすと激しく叱られたり罵られたりします。
時には、「死んだら訴えるぞ」とも言われます。
それでも、断られない限り関わり続けます。

周囲は、いろんな意味で必死なのです。
私たちは奴隷のように彼らの指示に従います。
医師には応召義務があるので断れません。

肝心の患者さんといえば、いたって落ち着いてます。
平穏そのもの。
しかし、尊厳ある生か?と問われれば、疑問です。

戸籍上生きている150歳、は理解できます。
死亡届を出さなかった子供の気持ちは分かる。
それに近いひとたちが、今後さらに増えそう。

親の年金にすがる子供たち。
生活保護より多い年金受給額。
それが土台にある、延命治療。

社会保障・税一体改革が、6月30日に成案。
消費税増税案には高齢者医療費も含んでいます。
終末期議論をしないまま、お金の話だけが進んで行きます。

平穏死の条件、5番目は、
多額の年金を残さないこと。
しかしこれは大変難しいことだと思います。