《0550》 平穏死の条件(その11)/救急隊の判断 [未分類]

平穏死を迎えそうになった時に偶然居合わせた
ヘルパーが救急車を呼ぶケースを紹介しました。
今日は、その時の救急隊の反応についてです。

大きく2つに分かれます。
在宅主治医の携帯に電話して相談する救急隊。
一方すぐに救急病院を探して搬送する救急隊。

もちろん状況にもよります。
在宅看取り寸前であった場合、と
寝た切りの中での「急変」であった場合では違う。

しかし周囲の状況を全く見ずに、反射的に搬送
しようとする救急隊とそうでない救急隊がある。
その時の判断で、その後が大きく異なります。

自宅での平穏死を強く希望していたある独居老人
を数年間か定期的に訪問診療していました。
ある日、伺うと初めて鍵がかかっていました。

近所の人が「救急搬送された」と教えてくれました。
急に倒れたためヘルパーが救急車を呼んだそうです。
正確には遠方の娘さんに連絡したらそう指示されたそうです。

その老人は救急車の中で絶命したそうです。
心臓マッサージされながら10km以上離れた病院に搬送。
そこで死亡確認されて死因解明のために解剖もされたそう。

すべて後で、ご家族から伺った話です。
私の頭には、その老人の最期の笑顔があります。
まるで予想していたかのように訪問時にこう言いました。

「これが最期かもしれないわ」
「なんでそんなことを言うの?」
「なんとなく・・・」

そんな会話を思い出しました。

もし救急隊が私に電話していたらどうなっていたのか。
駆けつけてその場で看取っていたかもしれません。
もちろん、遠方の娘さんの御意向があるのですが。

解剖結果は腹部大動瘤流破裂だった、と聞きました。
確かに大動脈瘤があって血圧の管理はしていたのですが。
予想された急変時の説明をしていなかった私の責任です。

その老人に怒られたような気がしました。
「あれだけ頼んでおいたのに。解剖までされて」と。
何となくそんな声が聞こえてきそうでした。

この老人は、自分の最期をある程度予想していました。
後で思い出すと、そのように感じてしょうがない。
平穏死の想いを、私に託していたのでしょうか。

毎年クリスマス近くになると小さなケーキを頂きました。
その年のクリスマスは寂しい想いで家の前を通りました。
あれから数年経っても、そこを通る度に思い出します。

あれは、あの老人が望んでいた「平穏死」だったのか?
まあ蘇生処置だけで、延命処置まで行かなかったので
平穏死だったのかもしれません。結果オーライ?

「大動脈瘤破裂でポックリ逝きたい」が口癖でした。
だから倒れた後のことは本質ではないかもしれない。
しかし危うく、平穏死できない可能性もありました。

そのころから、救急隊との連携が大切だと認識しだした。
これ以外にも救急隊との連携不足を痛感する事があった。
思い余って救急隊長に在宅での看取りの話をしに行った。

消防署に隊長を訪ねると、まず不審者扱いされました。
結局、隊長さんには会わせて頂けませんでした。
看取りの法律をお話ししたいとも申し出も断られた・・・

救急隊は、救急病院、救急医しか見ていません。
在宅医療も在宅医の想いも知りません。
在宅医療自体が、救急隊に認知されていない!

読者の中には気を悪くする救急隊員もいるでしょう。
しかしこれが私が何度も見てきた現実です。
救急隊員には、在宅医や訪問看護師を認めてもらえません。

すでに死亡している老人を乗せて走る救急車の多いこと。
在宅看取り予定だった老人や末期がん患者を乗せて走る。
病院で死亡確認だけして今度は寝台車で自宅に帰って来る。

彼らの多くは多くの医師と同様に看取りの法律を知らない。
法律に関するお話しすら聞いてもらえない。
1秒でも早く運ぶのが仕事だから法律など関係ないのか・・

平穏死の条件11番目は、救急隊の現場での判断です。
判断ひとつでその後の運命が大きく変わることもある。
でもこればかりは、その時にならないとわかりません。

年老いて寝たきりに近くなったら、普段から、ご家族や
近所の人やヘルパーに自分の希望を伝えておくことです。
具体的な方法は、また書いていきます。