《0561》 南相馬市の医療の現状 [未分類]

高知の夜、懇親会のあとは大人しく酒無しでホテルの
ロビーで深夜まである男性と話込んでいました。
講演後の南相馬市立病院院長の金澤幸夫先生です。

金澤先生は、地元、南相馬出身の小児外科医。
神戸で修業された時期があったり阪神大震災
の時も、ボランテイアに来て頂いたそうです。

温厚で物静かな金澤先生と2人きりの時間を過ごしました。
話し込むうちにこの7カ月間の御苦労が伝わってきました。
しかし、「大変だ」とか「辛い」とは言われませんでした。

南相馬市立総合病院は、福島原発から23km地点にある
230床の病院。災害拠点病院でもあります。

3月12日の原発事故以来、屋内退避指示、引き続き
緊急時避難準備区域に指定されました。

9月25日現在、南相馬市の死亡者数は640名、
行方不明者は23人と福島県内では最大の人的被害を受けました。

現在、住民の避難による医療圏の人口減少と入院医療の制限、
医療スタッフの減少による医療崩壊が起きています。

3月12日の事故発生、3月14日の3号機の水素爆発後に
金澤院長は職員を集め避難するか残るかは自己判断するように
説明されたそうです。

3月18日、入院患者の避難指示があり自衛隊の車両で主に
新潟に搬送、3月20日に入院患者はゼロになりました。

いかん、ここまで書いていて、涙が出て来ました。

南相馬市の人口は、7万1千から1万人に減少。
以降入院治療ができない状態となり、外来のみになる。
職員82名は県外26カ所の避難所に健康管理のため出向。

4月11日、病院は緊急時避難準備区域に指定されました。
子供、妊婦、要介護者、入院患者は立ち入り禁止になった。
4月30日には、医師数は14名から4名に減少しました。

緊急患者が徐々に押し寄せるようになり、県と交渉し
5月16日より、脳外科に限り5床、3日間の入院の
許可がおりました。

6月20日には70床の短期入院が許可され、
8月1日からは100床入院可能になりました。
医師数は、7月時点で7名となりました。

9月現在、相双地区の人口は18万人から8万人に減少。
南相馬市の人口は7万人から4万人に減少しています。
人口の減少は、自治体にとって深刻な問題です。

南相馬市には8病院あり許可病床数は1329床ですが、現在
入院可能な病床数は260床で、実際の入院患者数は230人。
2病院は20km圏内のためスタッフが少なく入院ができない。

いずれの病院も経営的には困難で破綻は時間の問題です。
南相馬市立総合病院は公的病院なので、金澤院長は
「最低限、救急医療は守りたい」と話されました。

8月の救急搬送は77人で
年間に換算すると震災前に戻ってきています。
しかし、問題は、今後の展望です。

医療以前に住民が戻ってこれるか?
そこに仕事があるのか?
課題は山積です。

金澤院長に、今後の展望を伺いました。
南相馬に住む住人にはここで住んで大丈夫なことを示す。
避難している3万人には安心して戻れることを示したい。

それには、徹底的な除染作業、そして
18歳胃以下の子供へのエコーによる甲状腺検診が
必要だ、とも話されました。

「我々に一番して欲しいものは何ですか?」と聞いてみました。

「うーん・・・」と考えながら、
「ホールボデイカウンター(WBC)がもっとあったらなー」
と呟かれました。

現在、2台のWBCがあるが、検診希望者が多くて
検査がとても追いつかないそうです。
住民に安心してもらうにはWBCが一番だそうです。

金澤先生は、終始、淡々と語られました。
想像を絶する修羅場を経験されながらも、意外なほど冷静。
金澤先生が、南相馬の野武士に見えてきました。

同じ時代を同じ診療報酬で診療する同じ医師として
何ともやるせない気持ちになりました。
南相馬にも、たくさんの住民がいるのです。

福島だけではありません。
宮城も岩手も大変な状況ですが。
どこも復興の糸口さえまだ見えていないでしょう。

政治に、被災地の医療機関へ思い切った援助を期待します。
医療機関が無くなれば、住民は離れて行かざるを得ません。
是非とも、被災地に補助金のような手当をして欲しい。

結局、高知の夜は、金澤先生とのお話で終わりました。
コンビニでヤキソバとビールを買い込みホテルに入る。

南相馬で頑張っている知人たちの顔を思い浮かべながら
眠りにつきました。

私には、何もできません。
できないから、せめて発信くらいしたい・・・
今日は、その想いで南相馬の医療の現状について書きました。