《0562》 なぜ、待ったなしなのか [未分類]

今日から11月です。
今月は特にテーマを決めずに、気の向くまま
筆の向くまま、書いていきたいと思います。

私はいい加減な人間なので、あまり調べずに書いています。
一息ついた深夜2時くらいか朝に15分位で書いています。
コメントも読んでいますが、応答できなくてごめんなさい。

今日は書きこんで頂いたコメントに対する回答を書きます。
TEPPEIさんのご意見は、よく寄せられるご意見です。
大切なことだと思いますので、少しコメントさせて頂きます。

【559回】待ったなしのリビングウイル法制化


【投稿者】 TEPPEI
【コメントタイトル】 ちょっと待った尊厳死法制化
【コメント本文】

長尾先生が仰る、尊厳死法制化を願う人が12.5万人いるということはずいぶんと身勝手な解釈ではありませんか?その人数はあくまでも尊厳死協会へ(会費を払って)リビングウィルを登録した数でり、法制化を望むかどうかは別の問題でないでしょうか?それとも登録者にアンケートを実施して、全員が法制化に賛同したとでも仰るのでしょうか?

確かに終末期医療や延命治療にたくさんの問題があることは、先生のブログなどからも明らかです。しかし、人の死まで法制化によって確保されなければならないことなのでしょうか?

社会保障・税一体改革が必要なことは理解できますが、それは年金・健康保険制度がすでに超高齢化などによってすでに崩壊しているからで、尊厳死より先に手をつけなければならないことは山積していると思います。

尊厳死協会を設立した大田典礼氏が、日本の優生学の元祖のような人で、「もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」と主張し、安楽死からさらに進めた自殺を提案したり、安楽死を説く中で、障害者について「劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない」「障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。
wikipedia」と主張した人物であることを忘れてはいけません。

協会は「安楽死協会」という以前の名称を現在の「尊厳死協会」に変え、必死に安楽死と尊厳死は全く違うものと主張していますが、諸外国の例を見ても安楽死と尊厳死はある部分で切り離すことができない関係です。まだまだ国民的な理解を得ているとは言えないのでは?

「尊厳」をもって生きることすらできない状況がある中で、尊厳死の法制化が待ったなしというのには違和感を感じます。

 
>協会は「安楽死協会」という以前の名称を現在の「尊厳死協会」に変え

日本尊厳死協会は1976年1月20日、産婦人科医、太田典礼氏を中心に
医師、法律家、政治家、ジャーナリストらが集まり設立されました。

当時は、尊厳死という言葉がなかったので日本安楽死協会と
言いましたが1983年現在の日本尊厳死協会と会名変更しました。

当時は、両者の概念がまだ整理されていなかった時代でした。
両者の違いが明確になった時点で名称を変更したことは当然です。

>必死に安楽死と尊厳死は全く違うものと主張していますが、

安楽死と尊厳死は全く違うものです。
私自身も、講演等で必死で説明しています。

しかし厳密にいうと、外国では言葉の概念が多少異なり、
その境界が少し重なるところがあります。、
しかし日本では両者は明確に区別できると考えます。

両者が全く異なることは非常に重要なポイントです。
それが混同されていることが、非常に多いからです。
その誤解から、死に向き合わなかったり偏見になります。

>尊厳死法制化を願う人が12.5万人いるということは
>ずいぶんと身勝手な解釈ではありませんか?

日本尊厳死協会の行う事業は以下の6つです。

  1. 尊厳死の宣言書(リビングウイル)の発行、登録、保管
  2. 尊厳死思想の普及啓発、相談および助言
  3. 尊厳死思想の普及、啓発のための調査研究
  4. 尊厳死の法制化運動の推進
  5. 講演会、研究会の開催および会報発行
  6. 目的を同じくする国内外の諸団体との連携活動

尊厳死法制化は、日本尊厳死協会の大切な柱です。
現在のリビングウイルは法的効力を有していません。
法的根拠を得ることが、協会員全員の願いなのです。

その目的のもとに入会されている人が12.5万人です。
協会のパンフレットにもHP等にも、明記されています。
私の身勝手な解釈ではなく、協会の主要事業であります。

協会の会費は、年間2000円。
入退会は自由。
会費を払わなければ自然退会になります。

>人の死まで法制化によって確保されなければ
>ならないことなのでしょうか?

この「人」とは、誰を指すのでしょうか?
自分自身、患者さん、ご家族、第3者?

日本尊厳死協会がいっているのは、
「自分自身の死」のみです。

自分の死について自分の希望を述べる。
それも「不治かつ末期」である時に
自分自身の意志を文書で伝える。

ただ、それだけのことです。
それが、リビングウイル。

「他人の死」について関わるものでは一切ありません。
「家族の死」についても関わりません。
「一人称の死」のみについて意思表示するだけのものです。

ただ、それだけのことが日本では法的に認められていません。
ですから、「基本的人権」として主張しているのです。

>それは年金・健康保険制度がすでに超高齢化などによってすでに崩壊しているからで、
>尊厳死より先に手をつけなければならないことは山積していると思います。

尊厳死をお金の話と一緒にすると議論が混乱しそうになります。
しかし敢えていうなら、健康保険制度が崩壊寸前だからこそ
「死」や「延命処置」について国民議論すべきだと思います。

>まだまだ国民的な理解を得ているとは言えないのでは?

国民的理解が得られていないので、何度も何度も同じ話を
しながら、あちこち回っています。
理解されていないからこそ、啓発、普及に努める団体です。
私自身は現場の医師としての「お務め」だと思っています。

>「尊厳」をもって生きることすらできない状況がある中で、
>尊厳死の法制化が待ったなしというのには違和感を感じます。

「尊厳」をもって生きることすらできない状況だからこそ、
「尊厳死議論」が必要なのではないでしょうか?

8割の人が延命治療を望まない。
しかし8割の人が延命治療を受けている。
その現状を憂うのは、自然なことではないでしょうか。

また、社会保障費が100兆円を超えて消費税増税や
受診時定額負担制導入まで検討されている今だからこそ
この議論が、必要だと考えます。

そんな想いで「待ったなし」と書きました。

本年6月には社会保障・税一体改革が成案し執行されています。
来春には、6年に1度の医療・介護報酬同時改定が行われます。
そんな「今」だからこそ本議論が「待ったなし」だと考えます。

このブログを読んで頂いているみなさまは、
如何でしょうか?
よろしければ、さらにコメントをお寄せください。

このブログ上で、国民的議論ができれば最高です。