《0577》 ある若者の思い出(その2) [未分類]

ついに、「その時」のことをお話しなければいけない日がやってきた。
この話は、1時間以上に及ぶことが多いので、通常、夜やることにしている。
夜は、なにかと都合がいい。

働いている家族も、友人たちも、そして私も、ゆっくり時間を取れる。
余談だが、毎日このようなことをしているので深夜帰宅となりメタボになる。
いつものように、これから迎える「最期」の旅立ちについて話し出した。

いつもと違うのは、聴衆が異様に多いこと。
ざっと数えて、20人以上はいるようだ。
ここでは、友人・知人も家族の一員であった。

看取りの話のつもりが、いつの間にか「看取りの講演」になっていた。
本人の前では、決して悪い話はしない。するのは生きる希望の話のみ。
悪い話は、別室で密かに行った。

いよいよという、その日がやってきた。
それは、看護師が知らせてくれる。
「先生、今夜、どこかお出かけですか?」

それは、今夜かもしれないという「合図」のようなもの。
その話を聞いて、夜の診察を終えて、その日2回目の訪問をした。
すでに、家の前に人だかりができていた。

玄関の戸を開けると1階に人が溢れ、階段にも人が溢れている。
彼の診察に着くまで、何人もの人を押し分けて入っていった。
「もう亡くなってしまったのか?」

そう錯覚させられるほどの人の多さだった。
100人は超えていただろう。
全員が、静かに手を合わせて祈っていた。

見たことのない光景に驚きながら、彼に話しかけると少し話ができた。
幸いなことにその夜には、何も起こらなかった。
次の日の午後、訪問すると、まだ沢山のひとが囲んで祈っていた。

ご家族に「いよいよ、今日が最期の日になりそうです」と話した。
母親は大粒の涙を流しながら頷き、父親は無言で聞いていた。
「群衆」のなか、看護師は友人たちと一緒に介護を続けた。

介護と書いたが、若者には介護保険が無い。
介護保険の対象である40歳には、ほど遠かった。
当然ながら、介護保険で借りれる介護ベッドも無かった。

夜の診察が終わるころ携帯電話が鳴った。
「先生、息を引き取りました!」
比較的穏やかな母親の声だった。

ちょうどクリニックを出られる時だったので、死亡診断書を
車の助手席に乗せて、自分にしては少し慌てて駆けつけた。
彼がとても若いからだろうか、こちらも少しは慌てるのだ。

何かの処置をするために急ぐのではない。
医療者が来るまでの看取った家族の不安を軽減するためだ。
1秒でも早く、その不安を解消してあげたい。

到着すると、家の外にさらにひとが溢れていた。
決して大きな家ではない。
むしろ普通より、少し小さめかもしれない。

しかし、そんな平凡な家に、入りきれないひとたちが
「路上」に溢れていた。
「なんじゃこりゃ!」